「お父さんはM-1出ないの?」追い込まれたレッド吉田52歳

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一体、サラリーマンとはなんなのか。元会社員である著名人たちが会社員時代を語る。“名刺を捨てた男たち” は当時、何を考えながら働いていたのか。仕事へのモチベーション、プライベートとの比重、そして夢への挑戦……。

 

ひとつだけ言えるのは、全身全霊その職務に取り組み、中途半端な仕事はしなかった。そして、その経験が活きているからこそ、彼らの「今」がある。その核心にせまるべく、「For M」編集部は“名刺を捨てた男たち”に単独インタビューを敢行した。

 

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お笑い芸人「TIM」のレッド吉田。甲子園の地を踏みプロ野球選手を夢見ながら、大学へ進学し商社に就職。ごく普通の人生を歩むと思われたが、その1年後、人生は180度変わり、お笑いの道へ。一体、レッド吉田に何があったのか? そして、営業時代の先輩、夢に挑戦する息子がレッドにかけた言葉とは?

 

文:宗像陽子 写真:佐坂和也 取材協力:

 

 

■営業マン・レッド吉田いわく、「営業とは自己肯定である」

 

身長180センチ。がっしりした肩幅に、グローブのように厚く温かな手。「よろしくお願いします!」という声は良く通り、まっすぐ前を見据える目は迷いがない。

 

「トントントントン、ワシントン!」

「テクテクテクテク、ひじ!」

 

なんということはないギャグだが、笑ってしまう。全身からほとばしるド迫力のせいかもしれない。

 

小学生の頃から野球一直線。プロ野球選手を夢見て、晴れて甲子園の地を踏む。残念ながら出場の機会はなかった。大学で肘を壊し、最大限に力を発揮することもなく卒業、就職をすることとなる。

 

入社をしたのは、京都の「三笑堂」という医療機器の専門商社である。

 

持ち前の元気と明るさで、同期では一番最初に担当営業を持たされた。体育会系のノリならお手の物とばかり、元気と大きな声と根性で、先輩社員にも可愛がられた。

 

ただ仕事そのものはそんなに簡単ではなかった。何しろ医療機器を売る相手はお医者様。大学を出たばかりの若造に、それほど時間を割いてくれるわけもない。

 

「面と向かってお医者さんの先生としゃべるのは難しかった。知識がないとしゃべれないこともあるけれど、何よりも自分に自信がないと相手に分かってしまい、一切話を聞いてくれない。自己肯定ができないと、営業は成り立たないですよ」

 

 

■売らなくていい!? 先輩の教えは今なお根強く

 

営業での苦労が続いていたあるとき、思い切って先輩に悩みを打ち明けると

 

「商品を売ろうなんて思わなくていいんだ。マメに顔を出してお前自身を売ればいいんだ」と言われた。

 

え? 売らなくていい? 頭の中が混乱する。その後、顧客である病院を周りながらレッドなりに考え続け、自分自身をさらけ出して至った結論は

 

「売ろう売ろうと思うと、人は引いていく。いつも顔を出して、人としての自分が認められれば、向こうから声がかかる。結果は後からついてくる」ということだった。

 

「たとえばね」とレッドは身を乗り出す。

 

「A社が見積1000万円。B社が見積900万円だとします。あなた、どちらから買いますか?普通はB社ですよね。でも、Aの担当はすごく気に入っている子。Bは大嫌いな子だとしたら? 人って、そういうときA社から買うんです。同じものが100万円高くても」

 

売ろう売ろうとしなくていい。人間としての内面の魅力を磨こう。それからレッドは、笑顔でマメに得意先に顔を出していく。得意先に気軽に「吉田くん、吉田くん」と声をかけられるような雰囲気作りに徹し、次第に「この見積り、作って」と言われるようになり、営業成績を上げていった。

 

サラリーマン時代の教えを、今でもレッドは何かに付け思い出す。

 

先輩や同僚に恵まれ、居心地の良かった「三笑堂」。ところがレッドはこの会社に丸1年で別れを告げることとなる。

 

なぜか。

 

 

■退職を止めなかった両親に感謝!「アホですね」

 

何か違うことにチャレンジしたいと思っても、明確な答えはまだ自分でも見つからなかった。

 

「自分が怪我をしたときにお世話になったように、スポーツトレーナーになって、今度は怪我をした人たちを救ってみようか」と考えたり、妹が東映の役者として舞台に出ているのを見れば「俳優もいいな」と思ったり。

 

レッドの父親は、人は良いが不器用で、仕事が長続きしない人だった。生計を支えていたのはもっぱら母親で、お好み焼き屋を切り盛りしながら子ども3人を大学まで行かせてくれた。

 

この両親が会社を辞めることにまったく反対もせず、自由にさせてくれたことも、今から思えばありがたいことだったとレッドは感じている。

 

「大学まで行かせた自分の子どもが、わずか1年で先の見通しもなく会社を辞めたいと言ったら、普通止めますよね(笑)。『ちょっと待て。人生そんなに甘くない。まずは3年頑張ってから考えろ』って俺なら言いますよ。

 

でも自分のおふくろは『やりたいことがあるなら何でもやりなさい』と言ってくれました。ある意味、アホな両親です(笑)。ありがたいです」と笑う。

 

 

■上京。そしてゴルゴ松本との出会い

 

上京すれば、なんとかなるのではないか。20万だけ持って、後先を考えずに上京したレッド。

 

「『きょうと』と音が似ているというだけの理由で世田谷の『経堂』に住むことに決めました。風呂なしアパート4.5畳、家賃2万9000円。そのときに隣の部屋に住んでいたのが、ゴルゴでしたね。人生は分からないものです」

 

社交的なゴルゴと意気投合、役者として一流になろうと2人で劇団に入るものの、2、3年で劇団が解散。その後4人で立ち上げた劇団も、2人が抜けて解散。それならばとお笑いの道を目指し、「ワタナベエンターテインメント」の門を叩くことになる。すでにレッドは29歳になっていた。

 

コンビを組んでみたものの、劇団出身のためどうしてもネタがお芝居になってしまう。芝居としては中途半端、コントにしては長すぎるネタに、観客が飽きているのが分かる。もっとおもしろくしなければと焦る。ますます観客は引いていく。そんなブラックホールにはまったような時期は2年ほど続く。

 

「2人とも真面目だから、結構考え込んじゃう。台本に忠実にやろうとすればするほど、どんどんつまらなくなってしまいました」

 

 

■本当は、怖い。底に落ちるのは怖い。だから自分を奮い立たせる 

 

「実はね」

 

とちょっと恥ずかしそうにレッドは小声でいった。

 

「今年はライブをやろうと思っているんです」

 

現在5児の父であるレッド。子どもが「できない」と言うと「できないことは何もない」と日頃から喝を入れてきたレッド。あるとき子どもに「M-1とかキングオブコントに出ないの?」と言われ、「できない、できない」と言ってしまったそう。

 

「パパも『できない』って言ってんじゃん!」と子どもに突っ込まれ、「パパ、やってなんぼでしょ」「恥かいてなんぼでしょ」と言われてしまう。

 

「子どもたちの背中を押し、ケツを叩いているのに、自分がやらないのはおかしいですよね。今年は長男がアメリカに行って、チャレンジングな人生を歩んでいる。素直に『格好良いな』と思ったんです。俺も頑張らなければ」

 

今年はライブを全5回。2月はなんとか満席になった。しかし、3回目以降のチケットが売れるかどうか胃が痛い。一見、豪放磊落に見えるが、レッドも人の子。本当はネガティヴな気持ちも抱えるし、底に落ちるのは怖いのだ。

 

だからこそ、自分を奮い立たせる。

 

「評判が評判を呼び、5回目のライブのチケットが売り出し初日に即日完売になったりしたら、もう『情熱大陸』から出演依頼来ちゃうんじゃない?」

 

と、すでに後ろはない崖っぷちで、ポジティブに妄想する。

 

今回の「レッド吉田のフルスイングライブ」は、自らの挑戦であるとともにもうひとつの目的もある。同じ事務所であってもなかなか一緒に出演する機会がなかった若手たちとタッグを組むのだ。ライブを通して、自分が今まで経験してきたことを若手芸人にも伝えられればうれしい。

 

レッドがライブで生き生きと楽しそうにハチャメチャなギャグを繰り出していれば、観客は思わず引き込まれるだろう。

 

「ウケようと滑ろうと、堂々とフルスイングしようぜ!」というレッド流のメッセージは、かつての営業の先輩の言葉のように、必ず若手の心にも届くはずだ。

 

さあ、レッドのお手並み拝見といこうではないか。

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