【中年名車図鑑|初代いすゞ・ピアッツァ】あだ名は「マヨネーズ」「ゴキブリ」「ナス」!? ジウジアーロ好きは肩身が狭かった…

車・交通

大貫直次郎

日産自動車からレパード、トヨタ自動車からソアラと、新世代の上級スペシャルティカーが矢継ぎ早に登場した1980年代初頭、いすゞ自動車は117クーペの実質的な後継を担う上級スペシャルティカーの「ピアッツァ」を市場に放った。今回はデザイナーのG.ジウジアーロ自ら「この車は、純粋に時代のイメージリーダーカーとして発想した」と謳った初代ピアッツァ(1981~1991年)で一席。

 

 

【Vol.17 初代いすゞ・ピアッツァ】

1977年に開催されたフランクフルト・ショーの舞台裏で、いすゞ自動車の幹部とイタルデザイン代表のジョルジエット・ジウジアーロ氏の会談がもたれる。メインテーマは117クーペの後継モデルについて。あいだには企業家でイタルデザインの設立にも携わった宮川秀之氏が入り、最終的にジェミニの主要コンポーネントを使ったスペシャルティカーのデザインスタディを製作することが決まった。

 


■“シニア感覚”のキャッチで登場したいすゞの新上級スペシャルティ

 

間もなくして、ジウジアーロ氏は自身が注力する「快適な居住空間と優れた空理的造形の融合」を実現したクルマ、すなわち“Asso(アッソ)”シリーズでいすゞの新スペシャルティカーをデザインする旨を提案する。同シリーズとしては1973年開催のフランクフルト・ショーでアウディ80ベースの「Asso di Picche(スペードのA)」、1976年開催のトリノ・ショーでBMW320ベースの「Asso di Quadori(ダイヤのA)」を発表しており、いずれも鋭いウエッジシェイプに空力特性に優れたフラッシュサーフェスのボディ、そして大人4名が乗れるキャビン空間を有する3ドアハッチバッククーペとして好評を博していた。ジウジアーロ氏の提案にのったいすゞの首脳陣は早速、発売間近のジェミニZZ(PF60)の主要コンポーネントをイタルデザインに送る。そして、これをベースとするデザインスタディの「Asso di Fiori(クラブのA)」が製作され、1979年開催のジュネーブ・ショーで公開した。

 

Asso di Fioriの評判は予想以上に良く、これを受けていすゞの首脳陣はこのデザインスタディをベースとした量産モデルの開発を決定する。コードネーム“720”と称した新スペシャルティの企画は、1981年5月に結実。市販版の車名は、「このクルマの持つ広がりのある価値が、80年代の車社会を先導する広場となるように」という思いを込めて、イタリア語で“広場”を意味する「ピアッツァ(PIAZZA)」(JR120/130型)と冠した。

 

「快適な居住空間と優れた空理的造形の融合」を標榜。リアの居住性も上々だった

搭載エンジンは初代ジェミニZZ用のG180W型1817cc直列4気筒DOHCユニットのボアを3mm拡大したG200WN型1949cc直列4気筒DOHC(135ps)、117クーペ用のユニットを改良したG200ZNS型1949cc直列4気筒OHC(120ps)という2機種でスタート。1984年6月には、4ZC1-T型1994cc直列4気筒OHCインタークーラー付ターボ(180ps)が設定される。駆動レイアウトはFRで、トランスミッションには5速MTとアイシンワーナー製4速ATを用意。懸架機構はジェミニ用をベースに専用セッティングを施した前ダブルウィッシュボーン/後トルクチューブ付3リンクをセットした。

 

スタイリングはデザインスタディのイメージを踏襲した鋭いウエッジと空力特性に優れたフォルム(Cd値0.36)、セミリトラクタブル式のヘッドランプなどが訴求点。デビュー当初はサイドミラーが不釣り合いなフェンダータイプだったが、道路運送車両法の改正に伴って1983年からはドアタイプに変更された。内包するインテリアでは、斬新なサテライト式スイッチを配したことがトピックとなる。右側にはライト/ターンシグナル/ハザード/メーター照明調節など11項目、左側には空調/ワイパーなど13項目を集中配置していた。もう1点、当時の国産クーペとしては珍しく、後席に大人2名が十分に乗れるスペースを確保していたことも特長だった。このあたりは、117クーペから続くジウジアーロ・デザインの伝統といえた。

 

メーターナセル右側には灯火類。左側には空調、ワイパー等のスイッチを集中配置

販売に関しては、ヤナセと提携を結んで1981年6月より「ピアッツァ ネロ(PIAZZA NERO)」の名でもリリースされる。NEROはイタリア語で黒を意味し、その名の通り内外装は黒を基調に仕立てていた。また、1984年6月のターボ車導入に伴い、一部グレードのヘッドランプを対米輸出仕様の「インパルス(Impulse)」と同じ角型4灯式に刷新。後に全グレードとも角型4灯式に切り替えた。

 


■新キャラクターのイルムシャーとハンドリングbyロータスを設定

 

市場に放たれたピアッツァは、まずその車両デザインがプロのインダストリアルデザイナーやいすゞのファンから高く評価される。ただし、市場でこのデザインを気に入ったユーザーは少数派で、その証拠に、当時ピアッツァに付けられたニックネームはオーナー自らが声高に自慢できるものではなかった。何せ白系統のボディ色は“マヨネーズ”、黒系統は“ゴキブリ”(1983年にホンダ・バラードスポーツCR-Xがデビューしてからは“大きなゴキブリ”)、ダークブルー系にいたっては“ナス”などと呼ばれたのだから……。また、シャシー設計の古さやトレッドの狭さなどもマイナスポイントとして指摘された。

 

走りに関するイメージを高めるために、いすゞはユニークな手法を採用する。海外のメーカーと提携して、走行性能を磨こうとしたのだ。まず1985年11月には、ドイツのチューニングメーカーのイルムシャー社が足回りを手がけた「ピアッツァ イルムシャー」を発売。高速域での直進安定性やコーナリング時での接地性の向上、しなやかで安心感のあるハンドリングなどを実現したうえで、外装には角型4灯式ヘッドランプやリアスポイラー、エアロホイールカバーなどを、内装にはレカロ製シートやMOMO製本革巻き4本スポークステアリングなどを装備した。

 

「ハンドリング byロータス」の室内。英国調のグレーカラーが特徴的だった

 

1987年8月にはマイナーチェンジを行い、内外装の一部デザインの変更や4ZC1-T型エンジン出力のネット表示化(180ps→150ps)などを実施。そして、1988年6月には、英国のロータス、正式にはグループ・ロータス・パブリックと技術提携して足回りを仕立てた「ピアッツァ ハンドリングbyロータス」を発売する。シャシー面ではリアサスを5リンク式に刷新し、同時にアームストロング製ダンパーの装着やフロントサスのセッティング変更などを行って上質な乗り味を実現。また、外装にはハイマウントストップランプ付リアスポイラーやBBS製アルミホイールなどを、内装には英国調のグレーインテリアカラーやMOMO製本革巻き3本スポークステアリング、7項目調節機構付バケットシートなどを採用し、シックな大人のスペシャルティカーに仕上げていた。

 

1991年8月になると、第3世代ジェミニ(1990年3月デビュー)のクーペ版へと変身した2代目ピアッツァ(JT221型)が発表される。それに伴い、初代ピアッツァの車歴は終了。最終モデルのカタログで「ここには、時間を越えた美意識がある」と不変のスタイリングを自賛した希代のいすゞ製上級スペシャルティカーは、輸出仕様のインパルスを含めて11万3419台の総生産台数で幕を閉じたのである。

 

 

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