【小物王のつぶやき】伝統工芸人気と、ロングセラー商品づくりの難しさ

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コンビニで偶然見かけたカップ麺を試しに買ってみて、それがおいしくて、何個もリピートして買っていると、ある日突然、市場から消えてしまう、ということが何度もある。その度に、残るものと消えるものの間に、どういう違いがあるんだろうと考える。私の場合、まあ消える。好きなものは大体、売れないらしく、1シーズンももたずに売り場からなくなる。最近では、売れる売れないに関係なく、次々と製品を入れ替えるのが流通のスタイルになっていて、定番として長く売られるのはますます難しくなっている。

 

 

■ロングセラー=良いモノとは限らない?

 

ただ、ここで問題になるのは、長く売られているから良いモノとは限らないということだ。何となく昔から売っていて、そこに新たな参入製品もないから、欠点が放置されたまま売られ続けているロングセラーはいくつもある。一方で、日清食品の「カップヌードル」のように、最も古いカップ麺だけれど、今も尚、最も売れている製品だってある。

 

ビーズのバッグが絶滅の危機だというニュースのように、作る技術を持っている人も減っているわ、材料となる国産のビーズを作る技術も失われているわと、もう、売れるとか売れない以前の問題だってある。実際、技術の継承は、今、あらゆる業界で問題になっているし、その多くは、売れているのに作る人がいないのだ。

 

 

■今や「伝統工芸品」は人気商品に

 

セーラー万年筆には、「長刀研ぎ」というペン先加工の技術があって、この「長刀研ぎ」のペン先を付けた万年筆は、日本語独自のハネやハライが書きやすく、また文字の太さも自在にコントロールできる、「日本語を書くための」ペン先なのだ。しかも、セーラー万年筆では、その技術を若い職人たちを育成して継承させている。それにも関わらず、生産が追いつかず、膨大なバックオーダーを抱えることになって、現在、新たな受注は受けていない。

 

伝統工芸はもちろん、昭和に入ってから生まれた新しい技術にしても、手作業による生産体制のモノは、技術の継承が難しい。その良さを伝えようと、私たちライターが取材して記事にすることで、その製品の寿命をさらに縮めてしまうこともあるのだ。

 

特に現在、ネットショッピングの普及に伴い、人が持っていない珍しいものを探すことが大変になっているし、手仕事の名品は、軒並み、注文してから手に入るまで半年や1年掛かるのは当たり前という状況になっている。そこに輪を掛けるように、「失われるかも知れない技術」、「現在の職人一代限りの技術」にスポットが当たりやすくなっている。職人ドキュメントとか、ストーリーのある製品とか、そういうのが好きな人が、やたらと増えているのだ。その片棒を担いでいるような記事をいっぱい書いている私が言うことではないが、今や「実用に足る」という条件付きではあるが、伝統工芸品は人気商品なのだ。

 

流通量が少ないからそう見えないけれど、本当にそうなのだ。それなのに、失われかけてもいるという矛盾。「古いものは売れないから淘汰されていく」なんてシンプルな生物の進化競争とは話が違う。もっとも、生物にしろ、より良く進化したものが残る、というわけではないし、淘汰された種が劣っていたというわけでもないのだから、何にせよ、「生き残る」というのは難しい。

 

 

■伝統工芸の裏で保護されづらい技術も…

 

コクヨという文具や事務用家具で有名なメーカーがある。その創業当時のヒット商品が「洋式帳簿」で、その小口にはマーブリング模様が染められていた。この色鮮やかな模様は、職人が液体の上で絵の具を数色並べて伸ばし、模様を作って帳簿の小口に染み込ませるのだが、絵の具の流れ方はその都度微妙に違うから、同じ模様の帳簿は一つもない。そして、小口には連続した模様が染められているから、ページを抜いたりするとすぐに分かる。つまり、このマーブリング模様は、装飾としても美しいけれど、帳簿のセキュリティ対策にも使われていたのだ。

 

この技術も帳簿自体がデジタル化し、需要が減るにつれて失われ、現在、職人はコクヨに1人しか居ない。もしかすると、このアナログなだけに、偽造や二重帳簿などに対して強固なセキュリティ対策は、今後とても必要になるかも知れないけれど、その時に、技術が失われたと嘆いても遅い。芸術なら保護される道もあるけれど、道具の製作技術は、伝統工芸としての歴史がなければ保護されにくいのだ。

 

最近の、何が日本の伝統で何が最近出来たことなのかが政府でさえ分からなくなっているような時代に、技術の継承が行われるとは期待しにくい。それでも、職人の技術に注目が集まっていることは悪い事ではない。「良いモノ」だからではなく、「売れているから」ではなく、多くの人が「それが好きだから」「それを使いたいから」で、モノを選べるようになってきている、ということだと思うから。個人の仕事で楽に食える国になれば、多分、弟子だってやってくる。

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