【今週の大人センテンス】ポーラや牛乳石鹸のCMをめぐる悲しい光景

牛乳石鹸公式HPより

巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。

 

 

第69回 賛成派と反対派が攻撃し合う不毛

 

「いつの間にか、私が、私の鎖になりそうになる。けれど、縛るな、縛られるな。翼はなくとも、私は飛び立てる」byポーラのCM

 

【センテンスの生い立ち】

化粧品会社大手のポーラが、リクルートのためのCMを8月8日に公開。昨年公開された第1弾に続いて、今年の第2弾も「この国には、幻の女性がすんでいる」というナレーションで始まり、女性が置かれている状況に対して踏み込んだ問題提起をしている。おもにネット上で賛否両論が渦巻いているが、そんな折も折、6月に公開されていた牛乳石鹸のWEBムービー「与えるもの篇」が、いきなり炎上。なんだか悲しい光景が繰り広げられている。

 

3つの大人ポイント

  • 何かを責めることより、まず自分を省みようとしている
  • 自分で自分を縛っている可能性に気付かせてくれている
  • ターゲットである女性はもちろん、男性にも突き刺さる

 

またまた「こういう騒動」が起きてしまいました。女性の抑圧とも取れる表現を批判する側と、批判の声を上げている人たちに反発する側が激しく対立しています。相手が言っていることの言葉尻をとらえては、一生懸命に罵倒し、自分の考えの正しさを実感しようと躍起になる……。この不毛で悲しい対立は、どうにかならないものでしょうか。

 

男女をめぐる問題に限らず、相手を否定することを目的にしている限りは、いくら激しく対立したところで何も生み出しません。意見が違う側をどう攻撃してやろうかと張り切っているときは、相手のことを「自分にとって最悪な人格」の持ち主としてイメージしがち。相手を「悪意の塊」「ダメの権化」と思ってしまったほうが、自分の考えの正しさに自信が持てるし、怒りを覚えたり口汚く攻撃したりすることを正当化できます。

 

たとえば、あるCMについて「女性差別だ」と感じる側は、それを「えっ、どこが女性差別なの?」と言っている人たちがいたら、そいつらは意識が低くて頭が悪くて、ダメなオヤジのエッセンスを煮しめたような人格で、考えられうる限り最悪の女性差別的なセリフ(女のくせに云々とか女は得してる云々とか)を平気で言いそうなヤツだと思っていないでしょうか。冷静に考えたら、そんなことはないはずなのに。

 

逆に「えっ、どこが女性差別なの?」と感じる側は、女性差別だと言っている側に対して、物わかりが悪くてヒステリックで、ダメなフェミニストのエッセンスを煮しめたような人格で、考えられうる限り最悪の的外れで紋切り型のセリフ(それは男根主義だのミソジニーだの)を平気で言いそうなヤツだと思っていないでしょうか。私自身は、ほとんどのケースで「それを女性差別と攻撃しても仕方ないでしょ」と考えがちだし、そういうことを書いてはたくさんの反発を受けてきたので、胸に手を当てて考えてみると身に覚えがあります。

 

しかし、冷静に考えたら、そんな最悪な人であるわけはなくて、そこの部分では考えが違うかもしれないけど、実際に会えばそれぞれに魅力的な人で話が合う部分も多いでしょう。ついつい勝手にレッテルを貼ってごめんなさい。意見が違う相手を「とんでもないヤツ」と決めつけたくなるのは、私たちの悪い癖です。戦争や国際情勢に関するさまざまな議論しかり、子育てや教育の問題しかり、ぎくしゃくし始めた夫婦やカップルしかり。

 

ちょっと前にここで書いた〈【今週の大人センテンス】「少年ジャンプ」のエロ表現批判に漂うトホホ感〉でも、意見が違う側のみなさんに挑発的な言葉を投げかけました。誰かを攻撃して小さな満足を覚えることが目的になっている方々に対しては、そういう言い方で批判したことに悔いはありません。しかし、じつは志は同じであるはずの人たちにも、反発を受けて「敵」と認定された気配があるのは残念です。でもまあ、あの書き方は、無駄にケンカを売ってますね。己の至らなさを反省しています。

 

大げさなことを言って恐縮ですが、プロでもアマでも、文章を書いたり意見を表明したりするのは、世の中が少しでも良くなってほしい、誰かに少しでも楽になってほしい、自分が少しでも生きやすい状態を見つけたい、という気持ちがあるからではないでしょうか。少なくとも私はそう信じています。となると、違う意見の相手に、石をぶつけている場合じゃありません。大まかに志が同じなら、違う意見にこそ耳を傾けて何かを発見したいし、違う意見だからこそ聞いてもらって少しでも何か発見してもらえたら幸いです。

 

前置きが長くなりましたが、今、ネット上で「ポーラ」のCMと「牛乳石鹸」のWEB限定公開のムービーが物議を醸しています。「ポーラ」のCMはリクルートが目的で、働く女性の置かれた理不尽な状況を描きつつ、見えない鎖に縛られずに飛び立とうと女性に呼びかける内容。男性にも女性にも、たくさんの勇気を与えてくれます。「牛乳石鹸」のWEBムービー「与えるもの」篇は、悩み迷える父親が子どもの誕生日にダメダメなことをしてしまう内容。新井浩文の演技が見事で、生きていくことの切なさややるせなさを感じさせつつ、もがいたり失敗したりしながら、きっといい父親、いい夫になっていくんだろうなと思わせてくれます。6月から公開されていましたが、なぜか今になって急に注目されました。

 

「ポーラ」のほうは、共感の声のほうが多めで、ときおり感情的な反発が目立つ印象。「牛乳石鹸」のほうは、非難の声のほうが多めでしかも勢いよく燃え上っていて、メーカー側の覚悟が問われる状態になっています。個人的な願望としては、何らかの考えや思いがあって世に送り出したわけですから、批判は批判として受け止めるにせよ、取り下げという安易な方向は選んでほしくはありません。

 

私は「ポーラ」のCMも「牛乳石鹸」のWEBムービーも、どちらも素晴らしいと思います。なぜ批判が巻き起こるのかわかりません。「わかりません」と書くと、批判派の一部の方々は、それこそ「意見が違うヤツは最悪のおバカさん補正」が働いて、無知と無理解と意識の低さを露呈していると受け取るみたいですけど、それは早とちりです。たしかにそういう人もいるかもしれませんが、そういう人ばかりだと思わないでください。

 

もちろん、自分は無知で至らないところだらけの存在ですが、批判する側の理屈はそれなりにわかっているつもりです。その上で、いろんな要素が絡み合っている人生や日常において、部分的な正義を盾にした批判を繰り出すことで何がどう良くなるのか、むしろ応援したいはずの女性の足を引っ張っているようにしか見えないけど、なぜそうは思わないのか、批判に精を出すエネルギーの源泉は何か、そこがよくわからないと申し上げています。

 

なので、もしよかったら、わからせてください。自分としても、少しでもわかるように、なるべくフラットな気持ちでいろんな意見に目を通します。こちらの意見が少しでも伝わるような表現も模索します。せっかく同じ志を持っているんですから、なるべく耳を傾け合う姿勢を取ったほうがいいんじゃないでしょうか。石をぶつけあっていたら、結局はどちらの意見を持つ側にとっても、望まない方向に世の中が進んでいくだけのような気がします。

 

またまた話がそれましたが、そんな流れの中で着目したいのが、ポーラのCMが発しているメッセージです。全文を書き起こしてみましょう。

 

この国には、幻の女性がすんでいる。世間が、そして私自身がつくった幻想。誰かの「そうあるべき」が重なって、いつの間にか、私が、私の鎖になりそうになる。けれど、縛るな、縛られるな。翼はなくとも、私は飛び立てる。これからだ、私。

 

この国にもどこの国にも、幻の女性や幻の男性がすんでいるし、誰もがいつの間にか、世間や自分が作った幻想に縛られています。「自分は縛られてなんかいない」と言い張る人は、縛られてはいけないという思い込みに縛られています。CMの「女性差別」的な表現を批判する側も、批判する人たちを批判する側も、きっといろんなものに縛られているに違いありません。そこは素直に認めて、自分を縛っているものの正体を突き止めましょう。

 

「牛乳石鹸」のWEBムービーにまつわる騒動で、華麗な大人力を発揮したのが、主役の迷えるお父さんを見事に演じた新井浩文。ゴミ袋を持って玄関に立っている場面で、いろんな状況や気持ちを表現した絶妙な表情をしているのに、単に「ぶーたれてる」と受け止めている人が少なからずいることが、気の毒でなりません。騒動が巻き起こった8月16日の夜、26万人のフォロワーがいるツイッターで、そっとこんなツイートをしました。

 

うちの事は嫌いでも、牛乳石鹸は嫌いにならないでくださいm(__)m

 

これもまた、押しも押されもせぬ「今週の大人センテンス」です。この力の抜き方を見習いたいもの。肩に力を入れたり肩を怒らせたりしながらだと、何を言っても不毛な対立しか生みません。なんて言いつつ、不毛な対立はやめましょうと呼びかけつつ、この原稿は明らかに肩に力が入っているし、そこはかとなく攻撃的になっているかもしれません。なかなか難しいですね。さらに精進します。

 

【今週の大人の教訓】

どんなメッセージも、どう受け止めるかは受け手次第

 

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