“無礼講”で無礼はNG!「相手をホメ殺す」くらいの用心深さがちょうどいい

 

ネット版のザ・テレビジョンによると、……らしい。とりあえずは、その持論ってやつを、いくつか抜粋してみよう。

 

「(賞賛も悪口も)両方本性だよね。その一番美しいところと一番醜いところが出てるのよ。たとえば、ボロッカス言われたとしても、じゃあそれがずっとその人が思ってることかっていったら違くて、その人が思ってることの中の本当に醜悪な部分が出ちゃったのよ」(マツコ)

 

「(アルコールは)感情の増幅装置みたいなところがあるからね。でもゼロではないのよ。まるっきり思ってないわけじゃないからね」(有吉)

 

「あと、酔ったフリしてめちゃめちゃ人ホメるとかね。(いずれにせよ)無礼講なんてないから。無礼講って言われたからこそヨイショしろ」(有吉)

 

以上、相変わらずの適確な分析である。たぶん、どの言も“酔っ払い”の本質を突いた、正しい指摘だと私も考える。

 

とくに、120%同感なのは「無礼講なんてないから」というくだり。そう。「今日は無礼講だから」と諭され、それを鵜呑みに、お酒の勢いに任せて、先輩や同僚へと安易に無礼な行為を働くのは、あまりに迂闊すぎる。

 

むしろ「無礼講」のときほど、本性を出しているフリをして、有吉が言うように「相手をホメ殺す」くらいの用心深さでちょうどいい。そもそも「無礼講=身分・地位を無視して行う宴」へのスイッチは、“宣言”程度で易々と入るものではないのだ。

 

よく、「昨日は酔っ払い過ぎちゃって、なんにも覚えてないよ〜」みたいなことを言う人がいる。しかし、こういうことを言う人って、“ピンポイント”か“全部”かの度合いの差こそあれ、じつはその場で起きた出来事をけっこう覚えていたりするんですよ……もちろん、酒の席で自分がやった粗相も、他人から受けた粗相も。百歩譲って、本当に「なんにも覚えてないよ〜」と言っているときはなんにも覚えていないとしても、後日、ふとしたきっかけで“思い出してしまう”ケースだって充分にあり得る。

 

実際、「なんにも覚えてない」はずの日に、その人へと向かって放った私のうっかり発言を、何カ月も何年も経った今でもネチネチと蒸し返す輩は少なからず……どころか多く実在する。アルコールが人間の記憶を完ペキに吹っ飛ばすだけの効能を持たないかぎり、「無礼講」は単なる“形骸化したお題目”でしかないのである。

 

おそらく、これからの忘年会シーズン、皆さんも「今日は無礼講だから」なるセリフを何度も繰り返して聞くことになるのではないか。そこで油断してしまう前に、このコラムを読んで、

 

「参加者の長所を箇条書きにして、誰が横の席についても、ヨイショできる万全の体勢」

 

……を整えてみてはいかがだろう? そうすれば、人間関係的にもすっきりとした、いっそう素敵な新年を迎えることができるに違いない。

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