昭和の象徴? サザエさんちの庭にもあった「柿の木」と日本人の優しい関係

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サザエさんちの庭にも、ドラえもんのおばあちゃんの家の庭にも、柿の木はあって。映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』のような、少し前の日本の風景には、当たり前のように柿の木がある。今でも、郊外や地方都市には柿の木がある家は沢山あるどころか、何だか、昔に比べて柿が随分美味しくなったようにも思う。

 

 

■何故こんなにも柿の木が植えられた?

 

正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とか、松尾芭蕉の「里古りて柿の木持たぬ家もなし」といった俳句はもちろん、「隣の客はよく柿食う客だ」と早口言葉にもなっているし、「猿蟹合戦」では物語の中心にあったり、干し柿は正月の飾りにもなっているなど、もう、ずっと長い間、柿は日本人の側にあって、さすがに庭先の柿の木こそ減りはしたものの(というか、それは柿の木を植えられるような庭が減ったからだが)、未だに身近な存在であり続けている。

 

何故、こんなにも柿が庭に植えられているのかという理由は、諸説あるどころか、あまり真面目に研究されていないようで、諸説がどれも憶測なのが面白い。けれど、多分、こういう問題は原因は一つではないだろうし、憶測で構わない。真面目な憶測としては、育つのに時間はかかるが、育てる手間はあまりかからず、育ってしまえば雌雄同体の植物なので、実を付けやすいということではないかと思う。また、渋柿を甘くして食べる方法がビックリするほど色々と開発されているところを見ても、手軽に入手できる甘味として重宝されていたことも推測できる。

 

 

■「お菓子」と言えば柿だった時代も?

 

そもそも、日本人にとって、長いこと「お菓子」と言えば柿のことだったのだ。和菓子の甘さは柿を基準にするという口伝が残っているくらい、柿の実は美味しいお菓子として扱われていたわけで、それが庭先になるなら、そりゃ植えるよね、という話ではないか。

 

有田焼の柿右衛門は、柿の赤さを焼き物で再現したいと考えて、赤い色の器を発明したのだし、柿本人麻呂は、家に柿の木があったから柿本と名乗ったそうだし、色々と、日本人に愛され続けているのも、結局は身近にあったから。そのくらい、普通に植木としても喜ばれていたのだろう。ただし、柿の木は固いけれど折れやすく、木登りには向かない木だ。猿蟹合戦の猿のような木登り名人ならともかく、子供の木登り遊びはさせにくい木なので、結構、拓けた土地で植えられていたのではないかという気もする。

 

実際に、柿の木を庭に植えるのが流行したのは江戸時代だと言うし、私たちが昭和の庭としてイメージする柿の木は、案外もう造園業者が惰性のように植えていただけのことなのかもしれない。私の九州の家にも、昔は庭があり、柿の木が植えられていたけれど、子供に人気があったのは、何だか実もパッとしない柿ではなく、割った時の鮮烈さと強烈な酸っぱさが魅力のザクロだったり、ごく稀に実を付ける桃だったり、意外に甘いさくらんぼがつく実桜だったりした。

 

 

■甘いものは「贅沢品」という伝説

 

何だか、甘いものは贅沢品だったという伝説は、私たちの中に根を張っているけれど、調べてみると、日本は意外に早く砂糖の生産態勢を調えていて、江戸時代中期には、夏場に峠の茶屋で砂糖水を無料でふるまっていたりする。私たちが持っている、砂糖は贅沢品的なイメージは、どうやら戦中戦後の物不足の時代の話らしいのだ。

 

今なんて、お菓子より果物の方が高価だし、甘いけれど、それは、もしかすると、砂糖が普及した江戸中期以降、昭和の初めくらいまでも、同じような事情だったのではないかと思う。それで、高い果物を買うより、庭で柿を育てた方が安いし、お菓子を食べるより美味しいと、柿の木が流行したのかもしれない。それが、戦中戦後には、貴重な甘いものへと逆転したというのは、ありそうな話だ。私よりも上の世代が語る、庭先でとれた果物が美味かったという話は、戦中戦後に子供時代を過ごした人のものだったりする。それより上の世代、私の祖母の話を聞くと、今度は豪華な洋菓子が美味しかった、といった話になったりもする。

 

その意味では、確かに柿の木は、戦後の昭和の風景にこそ似つかわしいのだろう。木の形や葉の形も、幻想の中の古き良き日本の風景のイメージに丁度いい。

 

それにしても、初冬に食べる、熟しきった富有柿や、桃みたいになった淡し柿の美味しいこと。凍らせてシャーベットみたいにしてもうまい。こういう食べ方があること自体、子供のころは知らなかったから、ずっと柿は地味な果物だと思ってたよ。

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