公衆の面前での「サプライズプロポーズ」はズルい

 

最近、頻繁にYouTubeだとかインスタやらのSNSだとかで流れている、いわゆる「公開プロポーズ」ってヤツが、ほのぼのしく視聴者数や「いいね」数を稼いだりしているが、こういう「(ときに)アカの他人までをも巻き込むサプライズな行為」に苦言を呈する人が秘やかに増えてきている……みたいなことを、とある出来事をフックとし、『レタスクラブニュース』が書いていた。

 

「とある出来事」とは、……のだそう。

 

【否定派の声】

「お金払っているのに目当てのイルカショーを見られなかったら怒って当然」

「ショーを観に来てるのに知らない人が公開プロポーズとかし始めたら腹立つ」

 

【賛成派の声】

「もし遭遇したら祝福する気持ちになるけどな」

「それくらい温かく見守ってあげたらいいのに」

「サプライズを見てるだけで楽しいし、自分もされたらうれしいよ」

 

【中間派?の意見】

「身内だけでやるサプライズなら問題ない」

「誰かの家でサプライズするなら全然いいけど、みんなが使う公共の場所や飲食店でされるのは正直迷惑」

「サプライズは全員が祝う気持ちのある身内だけでやるべき」

 

さて。賢明なるcitrus読者の皆さまは、ここまでを読んでどういった感想をお持ちになったことだろう?

 

仮に私が女性だとして「プロポーズされる側」だったとしたら、ハッキリ言わせてもらうと「アカの他人が周囲にウジャウジャいるなかでサプライズな公開プロポーズ」は、できれば「されたくない」。たとえ、その「たまたま周囲に居合わせたアカの他人衆」の90数%が“心の広いイイ人たち”ばかりで、おおよそ祝福の目で見守られたとしても、残り数%、極論たった一人だけでも“否定派”が存在したならば、いや、「存在する可能性」が私の脳内をよぎってしまったら最後、その「もしかすると被害妄想でしかないのかもしれないウゼぇなオーラ」に、私の細い神経ではとても堪えられそうもないからだ。

 

これを、ちょっとオシャレなレストランあたりでよく出くわす「店員さん数人が、いきなりパチパチ火花を散らすローソクの立っているケーキをテーブル上に持ってきて、パッピバースデーを合唱するサプライズ」に置き換えてみれば、わかりやすい。“された張本人”がうれしいのか、ありがた迷惑なのかは、その人の感性によってまちまちだとは思うが、そこに私が“他の客”として「たまたま居合わせてしまった」としたら、しかもそれがデートの場だとしたら……相手の女子に「人非人」呼ばわりされるのもなんなので、一応手拍子や拍手はするけれど、本心を言えば「気恥ずかしい」。コレって共感性羞恥心……ですよね? さらに、万一その合唱タイムが口説きモードのクライマックス最中だったりでもすれば、さすがの温厚な私ですら、小さな舌打ちの一つくらい鳴らしてしまうことだって、あり得なくはない。

 

そもそも、「公衆の面前でやるサプライズなプロポーズ」とは、視点を変えれば「周囲にいるアカの他人の視線をも束ねて集団でアツをかけるプロポーズ」であり、そのような四面楚歌的状況に置かれて「ごめんなさい」とお断りを入れることができる豪胆な性格の持ち主なんて、そうザラにはいないのではないか? 一見、美談風だが、よくよく掘り下げてみれば狡猾、けっこうズルい作戦だったりするのである。

関連記事