【中年名車図鑑|初代スズキ・エスクード】世界中にライトSUVムーブメントを巻き起こした都会派4WD

車・交通

大貫直次郎

後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた1980年代終盤の日本の自動車市場。各メーカーは豊富な資金を背景に、相次いで新ジャンルのクルマを開発する。その最中に鈴木自動車工業は、新感覚の都会派4WDを1988年にリリースした――。今回は国産ライトSUVのパイオニアとして名高い「エスクード」の話題で一席。

 

 

【Vol.69 初代 スズキ・エスクード】

 

軽ボンバンの大ヒットなどで軽自動車カテゴリーのトップメーカーに成長していた1980年代の鈴木自動車工業(現スズキ)。同社はさらなる躍進を目指して、1981年8月にGMおよびいすゞ自動車との資本提携を実施する。さらにGMとは小型車の共同開発業務の契約も結び、1983年9月には量産リッターカーとなるカルタスを市場に放った。


資本強化と小型車市場への参入を果たした鈴木自工の次の一手は、小型車の効率的なラインアップ拡充だった。日本での販売シェアを拡大できる、さらにそのまま海外市場へ投入できる――そんな小型車の開発を志向したのである。


新しい小型車を企画するにあたり、開発陣は海外マーケットでの動向を念入りに検討する。参考車種に据えたのは、同社の主力車種であるジムニーだった。ジムニーの輸出モデルはSJ20のF8A型エンジン(797cc直列4気筒OHC)以来、SJ410のF10A型エンジン(970cc直列4気筒OHC)、SJ413のG13A型エンジン(1324cc直列4気筒OHC)と、海外ユーザーの要望に合わせて徐々に排気量を拡大していた。コンパクト4WDの潜在需要は、世界中で確実に存在する。しかも彼らの使用パターンは舗装路やフラットダートがメイン――。結果的に開発陣は、ジムニーの1クラス上の4WD車、しかも都市部の走行も快適にこなせる小型SUVを製作する方針を打ち出した。

 

 

■クロカン4WDと小型乗用車の融合

 

エスクードは1988年5月デビューした。ボディタイプは3ドアのハードトップとコンバーチブル。フラッシュサーフェス化したボディラインに前後に配置したブリスターフェンダーが特徴的だった


新ジャンルの4WD車プロジェクトは、ジムニーの製作で得た経験を活用したうえで全面的に新開発された。骨格となるフレームは軽量・高剛性を高次元で両立するために3分割の閉断面サイドフレームと最適配置のクロスメンバーからなるハシゴ形を採用。サスペンションはフロントがマクファーソンストラット、リアがトレーリングリンクにセンターウィッシュボーンを組み合わせる。都会の風景にも似合うスマートなルックスを持つボディ(全長3560×全幅1635×全高1665mm/ホイールベース2200mm)には、徹底した防錆処理を実施。内包するインテリアは、従来の4WD車とは一線を画す乗用車ライクなアレンジで仕立てた。搭載エンジンは新設計のG16A型1590cc直列4気筒OHC(82ps)で、ボア75.0×ストローク90.0mmのロングストロークのディメンションに、アルミ製のシリンダーヘッド&ブロック/ピストン/ラジエター、中空式のカムシャフトやクランクピンなどを組み込んで軽量化を図る。注目の4WD機構は、トランスミッションとトランスファーを一体構造とするシンプルなセンタースルー方式を導入した。

 

エスクード・コンバーチブルモデル。都会派4WDのイメージが強いが悪路走破性も高かった


1988年5月、渾身の新4WD車が市場デビューを果たす。車名は「エスクード(ESCUDO)」。ボディタイプは3ドアのハードトップとコンバーチブルを用意し、廉価版として商用車登録のバン仕様も設定した。ちなみに、車名のエスクードは昔のスペインとスペイン語圏の中南米諸国とポルトガルで使用されていた通貨単位に由来。古スペイン金貨のイメージとそうした時代の男のロマン・冒険心等の雰囲気をクルマのイメージと重ねて命名していた。


フラッシュサーフェス化したボディラインに前後に配置したブリスターフェンダー、そして扱いやすいボディサイズを持つエスクードは、そのスタイリングや使い勝手のよさが大いに支持され、たちまちヒットモデルに昇華する。海外での評価も高く、北米では「サイドキック(SIDEKICK)」、欧州では「ビターラ(VITARA)」のネーミングで販売された。

 

都会的なエクステリアに合わせ、インテリアも従来の4WD車とは一線を画す乗用車ライクなアレンジ


市場に放たれたエスクードは都会派4WDとしてのキャラクターを強調していたが、実はオフロードの走破性も想像以上に高かった。エスクードでクロカン走行を楽しむユーザーによると、「リアアクスルの位置決めにレンジローバーのようなAアームを使っているので、足がよく動いて丈夫」、さらに「センタースルー方式の4×4がシンプルで耐久性に富んでいる」という。このあたりは、ジムニーで培った技術的ノウハウが活かされたところだろう。

 

 

■バリエーションの積極的な拡充

 

1990年9月には5ドアの「エスクード・ノマド」が登場する


堅調な販売成績を記録するエスクードは、1990年8月になるとマイナーチェンジを行い、エンジンヘッドのOHC16V化(100ps)やATの4速化などを実施する。翌9月にはホイールベースを280mm伸ばして5ドアワゴンに仕立てた「エスクード・ノマド(NOMADE。遊牧民の意)」を発売し、ユーザー層を拡大。さらに10月には、コンバーチブルをベースとするレジントップをリリースした。


1994年12月になると、2機種のエンジンが新設される。ひとつはVの角度を60度に設定したうえでシリンダーブロック/シリンダーヘッド/ヘッドカバー/アッパーオイルパンにアルミ材を採用したH20A型1998cc・V型6気筒DOHC24Vユニットで、最高出力は140psを発生。もうひとつは業務提携を結ぶマツダから供給を受けるRF型1998cc直列4気筒OHC渦流室式ディーゼルターボで、最高出力は76psを絞り出した。エンジンの出力アップに即してトレッドを拡大したオーバーフェンダー付きのワイドボディ(全幅1695mm)も設定。内外装の一部デザインも変更する。また、1995年2月からはマツダにOEM供給され、「プロシード レバンテ(PROCEED LEVANTE)」の車名で販売された。


1990年代中盤以降はライバル車の追撃もあり、販売成績は徐々に低迷していく。打開策として開発陣は、1996年10月に渾身のマイナーチェンジを敢行。パワートレインのラインアップを刷新し、3機種の新エンジンを採用した。ひとつめはフラッグシップユニットとなるガソリンのH25A型2493cc・V型6気筒DOHC24V。従来のH20A型のボア×ストロークを78.0×69.7mmから84.0×75.0mmにまで拡大し、加えてマイクログルーブドベアリングなどの新技術も採用したH25A型は、160psの最高出力を発生する。2つめは高効率インタークーラーとセラミックタイプ・グロープラグを新採用したRF型1998cc直列4気筒OHC渦流室式ディーゼルターボで、最高出力は92psにまで向上する。3つめは新開発のオールアルミ製J20A型1995cc直列4気筒DOHC16Vのガソリンユニット。16ビットマイコン制御やマルチポイント式EPI、ダイレクト・アクティング・バルブなどを組み込んだJ20A型は、140psの最高出力を絞り出した。また、駆動システムは走行中でも2Hと4Hが切り替えられるドライブセレクト4×4に改良。さらに、内外装デザインのさらなる上質化やグレード名の変更(ハードトップ系は3ドア、ノマド系は5ドアに改称)などを図った。そして、デビューから9年半あまりが経過した1997年11月になるとフルモデルチェンジを実施。GM色の濃いスタイリングを持つ第2世代に移行した。


都会派4WDというコンセプトを確立し、世界中にライトSUVのムーブメントを巻き起こすきっかけをつくった初代エスクード。スマートなスタイリングにオールラウンドの走行性能を有した意欲作は、それまでの4WD車のイメージを大きく変えるエポックメイキングとなったのである。

 

Kyrgyzdiaryのクルマ情報をInstagramで!
『car lovers by citrus』>>

関連記事