炎上を繰り返すベビーカー問題、子どもの「いい乗り物だった」発言に衝撃!

ライフスタイル

藤原 千秋

 

ベビーカーはいいなあ……と、年明けた、ある日。我が家の末っ子が、出先でベビーカーにちんまり鎮座する、よその赤ん坊をチラ見しながら、しんみりと述懐した。

 

「あれは、いい乗り物だった。とっても、らくちんだった。歩かなくて良かった。げぼ(車酔い)も、出なかった……」

 

えっ、と驚く母。ねえもしかして、あれに乗ってた頃のことまだ覚えてるの? 尋ねると、覚えてるよ、そりゃ、ほーくえんのモモ組(2歳児クラス)の時には私、まだ行き帰りに乗ってたでしょー、と6歳児。へえー。

 

あれに乗っていたことが、彼女にとってわりあい「いい思い出」だっていうのが、母には意外だった。なぜかといえば、終わりの頃のベビーカーというのは、乳母車的なほのぼのした乗り物というより、「半強制的子ども運搬カー」だったからだ。ベビーカーというもの、親にとっては、実に安全で便利な「道具」だった。なんせ子どもが泣こうが喚こうが暴れようが、一度座らせてベルトを締めてしまえば、けっして逃げられることなく安全に迅速に「運搬」できたから。その一点において、自家用車も子乗せ自転車も無い我が家では唯一の、必要不可欠な道具だった。が、しかし。

 

「いやああああああ!!!!!!ほおくえんいきたくなああああああいいいいいい!!!!!!」。

日々絶叫をドップラー効果よろしく早朝の街に響き渡らせ、ジタバタ暴れる子ごとゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……と押し歩いたあの頃はもう遠い。子どもはどんどん育ち、「ベビーカーは、いい乗り物だった」と懐古するのだ、たった4年前のことなのに。

 

 

■なぜベビーカーネタは炎上しやすいのか?


ベビーカー界隈の話題というのは、なぜか定期的に耳目を引き、世間を賑わせる。今年2017年も、年初の初詣を巡る「炎上」とやらが勃発。筆者は「またか」とニュースのヘッドラインをちらっと見ただけで、スルーを決め込んでいた。三人の娘は育ち、末っ子すら就学目前。うちではもう過ぎたことだからだ。

ベビーカー絡みの「炎上」というのは、たいてい以下3パターンにわけられる。(その1)ベビーカーが攻撃された!(=子育て親が迫害を受けた系) (その2)ベビーカーに攻撃された!(=子育て親の傲慢さ断罪系) (その3)ベビーカー利用は子の虐待である!(=親はラクするべきではない系) そしてその反論。かつ、これらのハイブリッドも存在し、Twitterなどではさまざまな立場からそれぞれがそれぞれの見方で自在に発言するので、だんだんわけが分からなくなってくる。

正直なところ今回の騒動?も、上記がしっちゃかめっちゃかに伝わって来たので、全貌がいまいち理解できずにいた。ジャーナリスト、治部れんげさんの記事(『』)でまとめられていたものを読み、ようやく合点がいった体たらくである。が、合点はいったものの、しばらくしてからジワジワと不快感がせり上がって来た。件のお寺での事件に限らない、「ベビーカー(の上の子ども)」の世間での扱われ方に、その見くびられように、あたったような気がした。

筆者は42歳だが、自分が「ベビーカー」(いわゆる椅子型の乳母車)に乗せられた記憶がない。親に背負われた「おんぶ」の記憶はある。見晴らしが良く、お腹は温かかったが、負ぶい紐から出た脚の所在がなく寒くてだるかったのを覚えている。だから「おんぶ」が愛情の代名詞のように語られることに違和感があり、腰も痛むため自分の育児ではほとんど行うことはなかった。とはいえ「ベビーカー」の乗り心地など分かりようもなく、「ベビーカーなんか使って!」という年長の方からの叱責は甘んじて受けた。「なんか」と言われるほど悪いものなのかと萎縮したのは、「いい乗り物」だという確信もなかったせいである。
 

街中眺めていると、ベビーカーの上、スッと背を伸ばして鎮座ましまし、目をキラキラさせて周囲を眺めているタイプの子どもがいる。そういう子を見るとつい目が吸い寄せられてしまう。おおっ、やる気だね、「なんでも見てやろう」っていう姿勢だね、と何だか嬉しくなってしまう。見て見て。見てやって。あなた、そのうちこの世界を自分の足で闊歩していくんだよ。よく見て覚えていて。あなたは、そこに座っているとき、どう感じていたのか。何を思っていたのか。

筆者より一回り若い世代生まれの人たちには、少なからず現状タイプの「ベビーカー」に自らが乗っていた経験がある「子」がいるだろう。その記憶の残っている世代が、今ようやく「親」になっている。自らがベビーカーに乗っていなかった世代が、想像でやいやい言うのと、おぼろげながらでも自分が乗っていた記憶のある世代が我が子育てにベビーカーを使うのとでは、使われているベビーカーを眺めるのとでは、これからだいぶ物言いが変わってくるのではないだろうか。

そんなの、子どもが覚えているワケない、と侮ってはいけない。「ベビーカー」に打たれた舌打ちも、余裕のない親の荒い運転も、階段を抱えて下りてくれた見知らぬ人の腕の心強さも、誰かがこっそりあやしている変な顔も、そこに座っている子どもは、全部、見ているのだ。

この記事が気に入ったらいいね!しよう

citrusの人気記事をお届けします

SNSで記事をシェア

藤原 千秋

大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。主に住宅、家事まわりの記事執筆を専門とするライター・アドバイザー&コラムニストとして活動。著・監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新...

藤原 千秋のプロフィール&記事一覧
ページトップ