【劇作家劇場】「腸のお花畑が実は小さな宇宙に…」そんな演劇も“盲腸”のように評価される日がくるのか?

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劇作家 松井周

 

腸内フローラという言葉が好きだ。腸の中にある100種類以上の細菌が100兆個以上も棲んでいるさまをお花畑にたとえて、そう呼ぶらしい。気づくと自分のパソコンの画面の片隅にも何かしらの腸を活性化させるサプリなどの広告が貼り付いている。そこに飛んでみると「腸は第二の脳である」とか「腸活ダイエット」などの言葉が踊っていて、誰でもそんな話は一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

 

腸のお花畑を育てていけば身体が根本から改善されて免疫力もアップし、長生きできるというだけでなく、どうやら感情などの信号も腸から脳に発信しているなど、脳とは独立した動きをしているらしいことも科学的に明らかになっているようだ。

 

さらに盲腸もふたたび注目されているらしい。以前は、進化の中ですでに役目を終えて用済みな印象だったのに、今は腸内環境のバランスを取るために必要だと言われている。切っちゃった人にとってはいまさら言われてもなあという気分だろう。

 

この盛り上がりに便乗して自分でも演劇の作品にしているし、今度の作品もそう。腸のお花畑が実は小さな宇宙になっていて、そこからのメッセージが脳に届くとしたら素敵だ!という話。こう書いてしまうと、あまりにも陳腐だ。理解されないかもしれない可能性は大きい。というか「ああ、そっち側に行っちゃったのね。ご愁傷様」という反応をされるかもしれない。

 

いや、そもそも演劇を生業にしている時点で、そんな反応をされてしまうことばかりだ。親戚に話してみても「羨ましいねえ!好きなことをやれているっていうのは」に続いて「で、実際のところ生活は?将来は?」という話につながらなかったためしがない。そうだ。たとえば二十年前はクレジットカードをつくることだってままならなかった。今はすんなりつくれる。社会が演劇に寛容になったのだろうか。いや、そんなことはない。非正規労働者の割合が増えてたりと、社会のバランスが変わっているに過ぎない。

 

娘がいる身になって思うのは、もしも娘が演劇をやりたいと言いだしたらどうしようかということだ。どんな演劇をやるの?と聞いてみて「えーと、腸の中にある宇宙からメッセージが届いて…」なんていう説明をされたら「ちょっと待て」と言いたくなる。その説明を遮ってでも「生活は?将来は?」と言い出しかねない。場合によっては「ほら、ここに反面教師がいるだろう?」と自分をネタにして反対するかもしれない。

 

ただ、信じていることがあるのは強いとも思っている。演劇にしても、これから先に新たな効能が見つかり、その力がふたたび注目されることがあるかもしれない。そんなものいらない。何の役にも立たないと思われていたものが、実は社会全体のバランスを取っていたことが証明されていくかもしれない。盲腸のように。

 

 

■居酒屋やエレベーターで繰り広げられる“演技”

 

未来の話でもない。今だってそうだと思う。たとえば「あるある話」というのは、演劇的だ。居酒屋で店員さんを大声で呼んだのに振り向いてもらえなかった時に、仲間同士での「あー…」「聞こえてないね」「うん」というやり取りや、エレベーターの中で皆がじっとしたまま上を向き、階数表示を見ているところなどは、時と場合によって無意識にやってしまう行動であり、それはその場にふさわしい身振りや口ぶりで、一種の演技だと思う。それをさらに演劇として表現しただけで、観客はなんというか、ホッとしたり笑ったりできるかもしれない。

 

あるいは、人を殺したい衝動や世界征服の野望を持つ狂気じみた主人公がいたとしても、それは私たちと同じちっぽけな人間で、お尻をかいたり、服のセンスがダサかったりするかもしれない。妄想が肥大していたとしても、私たちとそんなに変わらないようなちっぽけな人間であるということが生でダイレクトに伝わるのが演劇の魅力だ。

 

現実を写しても、妄想を描いても、観客はそれを観ることで自分を外側から観察するような視点が生まれるのではないかと思う。だから、盲腸と同じで、いらないものではないんだと主張したい。人生のあれやこれやでトラブルを抱え、ストレスを感じているとしたら、演劇を観て、自分を客観的に眺めるような視点を持って欲しいとか本気で思う。それでバランスが取れるんだと。でもまあ、そこまで効くとも断言できないので、人間が人間のまねをして笑ったり、怒ったり、汗をかいているのを不思議に感じて欲しい。そんなことが何千年も行われてきたことに…なんてことを思っている。

 

話を戻すと、娘がそれでも演劇をやりたいと言ってきたらどうするか。父親が反対するとしても、それでも信じているなら止められないと思っている。ただ、父と娘のこのような問答はそれこそ「あるある」なので、娘もついその状況にのせられて強弁していないか?そこも吟味して欲しいとは言うだろう。だって、父親もついその場にのせられて父親の役割を演じてしまっているかもしれないから。そんな「あるある」を越えて、「腸からのメッセージ」的な「あるある」もツッコミが入ること前提で、冷静に吟味できれば、その公演は成功するかもしれない、と娘に言う体で自分に言い聞かせてみる。

 

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劇作家

松井周

1972年、東京都生まれ。1996年に平田オリザ率いる劇団「青年団」に俳優として入団。その後、作家・演出家としても活動を開始、2007年に劇団「サンプル」を旗揚げ、青年団から独立する。2011年『自慢の息子』で第55回...

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