元・日テレアナ上田まりえの葛藤とフリー転向で手にした自信

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一体、サラリーマンとはなんなのか。元会社員である著名人たちが会社員時代を語る。"名刺を捨てた男たち" は当時何を考えながら働いていたのか。仕事へのモチベーション、プライベートとの比重、そして夢への挑戦……。

 

今回はスピンオフ企画第二弾として、「名刺を捨てた女たち」を敢行! 安定のキャリアを捨て、茨の道を選んだのは“熱男”たちだけでない。現状を変えようと、自らの力で生きていく覚悟をした“熱女”たちにその腹の内を聞いた。

 

地方ローカル局を目指していたはずが、何の因果かニッポンど真ん中の日本テレビのアナウンサーになってしまったという上田まりえ。入社前の「なぜ私が?」という逡巡は、全国区の番組に出るようになっても変わらず、居場所を模索していたという。

 

新人時代に担当していた『Oha!4 NEWS LIVE(おはよん)』時代の様子をマツコ・デラックスにいじられるようになり、一躍表舞台に躍り出た彼女。5年目を過ぎて、少しずつ目の前が開け、アナウンサーとしての自信をつけ始めたそうだが、その肩書きを6年10カ月で捨ててしまう。日本テレビアナウンサー・上田まりえが、「上田まりえ」になって手に入れたものは一体何だったのだろうか。

 

写真:佐坂和也 文:小泉庸子

 

 

 

 

■いまも語り草に! 新人の体当たり“生放送”

 

「入社2年目に担当させていただいたのが『Oha!4 NEWS LIVE』(通称・おはよん)です。フリーアナウンサーの中田有紀さんがメインでおられて安心感がありましたが、その脇で私は初の生放送というものを学ぼうと、とにかく必死でした。」

 

被り物はアナウンス部としてNGだったが、「局アナといえども何でもやります!」というスタンスに対して、現場判断で新人の上田は被り物をすることも多々あった。ニュース原稿を読むことから被り物もする、王道からバラエティまでが凝縮した番組だった。

 

ただすべてに体当たりで挑み、生放送のイロハを体全体で学んだ時期。「被り物にも耐性、つきました!」(笑)と振り返る。

 

数年後、そのときの上田の姿をマツコ・デラックスが“漁師みたいな女子アナ”と例えたことで話題になった。当時の頑張りはマツコ・デラックスの言葉によって、ある意味“昇華”され、上田の知名度を上げることとなった。

 

 

 

■慣れない日々に身体が拒否反応!

 

『おはよん』とは朝4時から5時50分に放送されるニュース番組。

 

「当時は夜中の12時30分に家を出ていました。1時に会社に着いて、2時にはメイクをして報道フロアで原稿の下読みとリハーサル。生放送後、7時には反省会も終わり、誰もいないアナウンス室で事務作業です」

 

各新聞を綴じたり、ポットにお湯を沸かしたり、机を拭いたりという新人担当の雑務をこなし、10時ごろに出社する部長にあいさつして帰宅していたとか。

 

「朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、暗くなって眠る――それまでの当たり前の習慣が崩れていき、次第に自分の体力と気力が落ちていくのが分かりました」

 

病気がちになっていった上田は、1年目の冬に「全日本高校サッカー選手権大会」のシフトに組み込まれていたにも関わらず、インフルエンザに罹患。また別なときには急性胃腸炎を起こした。

 

 

 

 

■小学校3年生から憧れ続けたアナウンサーという仕事

 

上田がアナウンサーという仕事に憧れたのは、漫画雑誌『ちゃお』(小学館)で連載していた清水真澄による『星空のウェーブ』というマンガだ。

 

「子ども心に言葉にこだわるって面白いんだなぁと感じて。当時から作文や読書感想文を書くのが好きだったこともあり、余計に心に響いたんだと思います」

 

ただし目指したのはローカル局のアナウンサーだった。

 

「自分はいろんな世代の人に囲まれて育った田舎の子。人と距離が近い仕事がしたい、親戚の子みたいなアナウンサー、それが希望でした」

 

そのはずが内定をもらったのは、本人の思惑を大きく外れた全国区の「日本テレビ放送網株式会社」だった。

 

「どんなに冷静に分析しても、なぜ受かったのかが分からない。この戸惑いは入社しても続きました」

 

 

 

■いい辞め方ができることを目標に据えて

 

子どものころからの憧れの職業に就いたにも関わらず、心から楽しめない自分。また健康不安を抱えて、体調を管理するのも最大の悩みだった。

 

「そんなときに『おはよん』を卒業することになりました。このときに涙したのですが、『これで普通の生活ができる』とホッとした涙でもありました。でも、そんな感情を持った自分が悔しかったんです」

 

自信がないままでは、もっと自分が嫌いになる。そう思い決意したのが「辞めるために頑張ろう」ということ。

 

「ただラクになりたくて、甘いことを考えていましたね。でもそれからはこの決意のおかげで、今まで以上にていねいに生きよう、現場も出会う人も大事にしようという気持ちが芽生えました」

 

 

 

 

■自分が選ばれた驚きが、本当の歓びに代わるまで 

 

上田まりえは局ですれ違う人全員にあいさつをし、収録スタジオとは離れた場所にあるサブコン(音声や映像等を調整するための操作室)にも顔を出した。「関わった番組は好きになりたい」という思いは、気づいたら環境を変えていたという。

 

「上田のこと、みんな見てるし、分かっているから。必ず次につながるから大丈夫。そんな言葉をかけていただき、本当にほっとしました。1日でも早く信頼のおけるアナウンサーになりたい、そう思いました」

 

そして転機となる番組が始まる。それが2012年にスタートした『快脳!マジかるハテナ』である。

 

「初めてのゴールデンタイム、初めてのナレーションでした。私の『声』を必要としてくれる、アナウンサーの歓びを味わった番組です」

 

最初は特番で、ダミーで入れた声がそのままレギュラー番組となった。スポーツ番組の収録で多忙だったが、現場からは「上田じゃなきゃダメなんだ」と声があがったと言う。

 

 

 

■初めてのナレーションに新しい自分を発見

 

ときを同じくして会社のそばに引っ越し。仕事に集中できる環境を整え、同時に緊急放送にも対応できるようにした。さらに体力増強に努め、異業種との交流を深め、見聞を広げる努力も始めると、後ろ向きだった気持ちも前向きになっていく。

 

「ナレーションの仕事での快感、それは自分である必要がない、ということです。かわいい声、ブリッコの声、男の子の声、色気のある声……なんにでもなれるんです。初回は2時間スペシャルだったのですが、祖母が私の声に気付かなかった。これは快感だったし、新しい発見でもありました」

 

社会人4年目に掴みかけた自信につながる「何か」。そして5年目の立ち位置に選んだのが“ピンチヒッター”だった。

 

 

 

 

■全員が4番バッターでは成り立たない

 

上田は筋金入りの野球好きで、彼女のオフィシャルブログは『ど直球』という真っ向勝負のタイトルがつけられている。

 

「代打とはオールラウンダーであり、ユーティリティプレーヤーです。情報番組、バラエティ、スポーツ、報道すべてにおいて、できるようになることが目標でした」

 

それはまるで1回ずつ、オーディションで番組を勝ち取っていくことに等しい。会社員でありながら、社内に居場所を作っていくメンタルの強さには驚かされる。

 

「全員4番バッターで、勝てるチームはつくれないですから」

 

 

 

■職人に心惹かれ、代打の姿勢を貫く

 

そこで上田がたとえば……と出したのが元・読売ジャイアンツの川相昌弘の名前だ。通算533本の犠牲バントのギネス記録を持ち、バント職人の異名を持つ一方で、ゴールデングラブ賞を6回受賞した守備力を誇る選手でもある。この人選に彼女の目指す方向が見える。

 

「結果、年間9本の番組を代打として任されたことは本当に嬉しかったし、自信にもなりました。緊急時にピンチヒッターとして起用されることは、ある程度の実力があってのこと、と思えるようになりました。

 

また、関係者から『報道に向いている声』『ニュースを読むと安心』『任せられる』といった声が聞こえるようになって、仕事がどんどんおもしろくなっていったんです」

 

そして、アナウンサーとしての実力をさらに磨くための努力を重ね、プラスのスパイラルに入っていく。

 

 

 

 

■仕事が楽しくなったからこそ、見えてきた未来

 

5年目に入り、これまでが嘘のように会社に行くのが楽しくなり、自信が持てるようになった。

 

「仕事が楽しいからこそ見えてくる世界がありました。辞めることで仕事の幅が広がることもあると気づいたんです」

 

「女子アナ」ではなく、「アナウンサー」として見られたい。「アナウンサーの上田まりえ」ではなく、「上田まりえというアナウンサー」になりたい。そんな思いは次第に「上田まりえはアナウンスもできる」という未来へと自らを導いていくことになる。

 

6年10カ月という局アナ人生を終えて、2016年1月をもって「日本テレビ放送網」を退社。同年2月1日、「松竹芸能」所属の「タレント」となった。

 

 

 

■上田まりえ「らしさ」の探求

 

「フリーのアナウンサーになるつもりなら局に残りました。私は日本テレビのアナウンサーという最高の肩書きをもらっていたし、その重みも分かっています。だからこそ、それに頼らずにこれからは生きていきたい」

 

「松竹芸能」を選んだ理由も「アナウンス部門がないから」という徹底ぶり。

 

「フリーになると局アナとは違う日本語対応力を求められます。局アナ時代は『めっちゃ』などはご法度単語でしたが、先輩に『上田が好きな言葉を使って良いんだよ』と言われて、肩の荷が下りました」

 

しかし、枠がないこととは、すなわち枠を自分自身で作り上げていかねばならないということだ。

 

「アナウンサーとしての技術を上げるのは当然で、そのベースを持っていかに遊べるかが勝負。今年中に『自分なりの自分らしさ』を見つけられなければ、先がない。勝負の年です」

 

 

 

 

■『月曜から夜ふかし』で全国区に

 

上田まりえの名前がクローズアップされるようになったのは、マツコ・デラックスがMCを務める『月曜から夜ふかし』。先の“漁師顔”発言で取り上げたことから、番組内のコーナー『埼玉ニュース』に起用される。

 

社内で『報道のアナウンサーがバラエティをやって良いのか』という声もあったそうです。でも『真相報道!バンキシャ』のスタッフも喜んでくれて、部長もGOをくれた。周りに背中を押してもらいました」

 

『月曜から夜ふかし』の先輩である菅谷大介アナウンサーからは「ニュースとして淡々と粛粛と読み上げるように」とアドバイスされたとか。

 

「アナウンサーとしての枠や幅を広げていただいた番組。そして、後悔が大きかった『おはよん』時代のことを、笑い話に変えていただいたことはとても感謝しているんです。『埼玉ニュース』ですか? もちろん、重大なニュースだという気持ちで読んでいますよ(笑)」

 

いまだ埼玉県の人には温かい言葉をかけてもらえるそうだが、「すみません、私、人口が一番少ない鳥取の人間で、埼玉をディスれる立場じゃないんです」と苦笑する。

 

 

 

■名刺を捨てて、新しい自分を手に入れた

 

「いろいろなところで『夜ふかし、いつも見てます』と言っていただくのですが、最後に出演してから、もう1年以上が経ちます。でもそれだけ強い印象があるということ。早くそのイメージを変えていかないといけないし、そのためにも頑張らないといけません」

 

こうした頑張りは、テレビとラジオにレギュラー番組を持ち、新聞にコラムを執筆するなど、メディアでの仕事ができているからこそ言える。局アナ時代は『代打』に意義を見出していたが、これからは自身が主軸である4番バッターにならなくてはいけないのだ。

 

そして今年2月には結婚したが、「局アナのままだったら結婚していなかったと思う」とポツリ。ご主人の「好きになんでもやっていいよ」という言葉が、変わろうとしている「上田まりえ」を支えていることは間違いない。

 

「野際陽子さんのように、『あの人、アナウンサーだったんだ』と言われるようなところに行きたいです」

 

上田まりえがどんなプレーヤーになるのか、注目していきたい。

 

※この情報は2017年3月22日現在のものです。

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