【劇作家劇場】タカラヅカ、一度観ればやみつきになる舞台の魅力とは?

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劇作家 松井周

出典:「」より

タカラヅカを観たことがありますか?きっとどこかでその映像くらいは観たことがあるのではないでしょうか。孔雀の羽根が生えたような衣装を着て、電飾で飾られた大きな階段を優雅に降りてくるスター。彼女らは宝塚音楽学校でレッスンを積み、やがて舞台デビューをします。

 

演劇を観る観ないにかかわらず、タカラヅカは一度観ても損はないと思います。これはもう文化として根付いている一大ジャンルというか、歌舞伎や能と並べても遜色ない伝統芸能だと思います。鉄道会社がそれを成し遂げたことも驚きですし、スターシステムによって、観客が若手からベテランまでの成長や成熟を見守っていくという作り手と観客が一体になった組織づくりも当時としては画期的です。でも何より、「ヅカ体験」と呼んでもいいような特別な観劇体験は、他では味わえないという気持ちが強いです。

 

和洋中の料理を組み合わせた創作料理の店が短命で終わると思いきや、百年経って、もうオリジナルとしか呼べない料理を出して繁盛しているさまを思い浮かべてほしいです。舌が未発達な子供でも、ディープな味覚を求める大人でも「食べたことのない味」に驚くのではないでしょうか。

 

僕は八年ほど東京宝塚劇場でアルバイトをしていました。入り口での入場整理やもぎり、パンフレット販売、場内整理などあらゆることをやった覚えがあります。

 

 

■スターがスターであるために用意されている舞台

 

多分ご存知でしょうが、宝塚歌劇団の舞台というのは、基本的にイメージ通りのきらびやかさです。宮殿の庭は月明かりに照らされて、舞踏会は華やか。街の広場では、貧しく清らかな乙女が花を売り歩く。しかし、その真逆のイメージの舞台の時もあって、波止場はうら寂しく、危険な取引が行われたり、酒場では荒くれ者がクダを巻いたり、女を口説く。そんな舞台セットの中を男役のトップが娘役(なぜか「女役」ではない)を守りながらも駆け抜けます。しかし、舞台セット自体は質素とも言えます。ペラペラの板に絵が描いてあるもの(書き割り)が多かったりするので。つまり、舞台セットは役者の魅力を引き出すために用意されているとも言えるでしょう。スターがスターらしくあることが重要なのです。

 

タカラヅカの公演は、上に記したように、きらびやかだったり、危険な香りのするスターという存在を引き立てるためにあらゆるシーンが用意されているようなところがあります。スターという存在が好きな人にとっては、たまらないかもしれませんが、興味のない人にとっては、一生縁のないものなのかもしれません。でも、タカラヅカはスターがスターであるために用意されているコンテンツがバラエティに富んでいます。歌、ダンス、ロマンス、コメディ、時代劇、レビューなど。だから、とにかく飽きません。その中でも劇作家の視点で見ると、「悲劇」に当たりが多い気がします。

 

『ベルサイユのバラ』にしても『エリザベート』にしても『ファントム』(宝塚版『オペラ座の怪人』)でも、基本的には悲恋の末の死が描かれます。現世では結ばれない恋愛です。例えば『ベルサイユのバラ』はフランス革命時代の話です。政府の衛兵として、兄弟のように育ったアンドレとオスカルはお互いに対する恋心を意識します。二人は途中から政府側から国民軍に鞍替えし、バスチーユ監獄を陥落させる一歩手前のところまで共に戦いますが、そこで「悲劇」が起こります。オスカルの目の前でアンドレが政府側の銃弾に倒れるのです。一発どころではありません。何発もです。その間、アンドレは苦痛に身をよじらせながら一曲歌い上げます。そして死ぬのです。こう書くと冗談のように思われるかもしれませんが、「そこまでやるか」という銃弾の音の連打に、いつの間にか心を揺さぶられてしまいます。少なくとも僕はです。様式美としての「死」が浮かび上がるというか。

 

『エリザベート』と『ファントム』という代表作にしてもそうで、わりと「死」というものが強く刻みつけられる印象があります。僕の場合、どちらかと言うと鬱な展開のほうが好みなので、一度はまると「さて今度はどんな闇を見せてくれるのか?」という期待が膨らみます。もちろん、あまりに鬱な幕切れでもあるので、その後エピローグのように天上の世界が描かれることも少なくありません。共に死んだ二人の漕ぐ船が霧の中の湖をゆく、というような。ですから、どん詰まりの気分で劇場を後にすることはないでしょう。このようなシーンもくすぐったい感覚はあるのですが、舞台に充満するありったけのドライアイスの煙によって、追悼の儀式のように説得されてしまいます。少なくとも僕はですが。ただし、演目がコメディだったりすると、あまりにもスカスカな内容で驚くこともあるでしょうが、毎公演必ず行われるラインダンスや大階段を使ったフィナーレを楽しみ、キャトルレーヴというタカラヅカグッズのみの売店で記念のお土産を買えばお得感はあると思います。

 

そして、もう一つの魅力は、「独特のレトロ感」です。日本の時代物やヨーロッパの王朝の歴史を上演するということにもよるのでしょうが、実はスターという存在がそう思わせるのかもしれません。「男役」や「娘役」トップは「清く 正しく 美しく」という理念に基づいて、どこか武士や大和撫子という存在を体現しているように思われます。また、その理念は演技方法や台本にも通底しているのかもしれません。しかし、「古き良き時代」というような窮屈なノスタルジーの押しつけとも違っていて、スターという存在を中心にできあがったパラレルワールドに足を踏み入れているような感触です。

 

観劇中、なんというか、観客全員がマッチ売りの少女になって、一本ずつマッチを擦り、一瞬だけの懐かしい幻を観ているのではないかという気持ちになることがあります。もう失われてしまった幻を追いかけているようなうら哀しさです。例えば高倉健の映画を観ているときのような。ただ、懐かしいとは言いつつも『逆転裁判』や『ルパン三世』など現代的な作品を取り入れていたりもして、そのへんの貪欲な姿勢がタカラヅカの面白さでもあります。

 

 

■「出待ち」こそがタカラヅカ最大の特徴

 

さて、最後に、僕がタカラヅカ最大の魅力だと思っているのが「出待ち」です。「出待ち」というのは、その名の通り、公演が終わった「生徒」(=役者)が帰宅のために出てくるのを待つということです。各組(タカラヅカには花・月・雪・星・宙の五組のチームがあり、それぞれが一つの劇団のようになって公演を行う)のファンクラブが劇場(僕の場合は東京宝塚劇場)の前に並ぶことによって壁をつくり、混乱を防止しようとします。雨の日も雪の日も夏の暑い日も、長くて一時間ほども無言で待っているのです。毎日「生徒」ごとに色の違うジャンパーやスカーフなどを身に着けて百人以上がじっと待っています。僕らは警備の仕事として待っているのですが、彼女たちは手紙を渡したり、一言「お疲れさま」の声をかけたりするためにです。

 

僕の勝手な推測ですが、きっと彼女たちは「試されている」と感じているのではないでしょうか?「自分は本当にファンであるのか?無私の心でスターを待ち続けられるのか?」という自問自答を繰り返しているかのように。だから、やっとのことでお出ましした「生徒」がちらとこちらを見て手を振ってくれただけでも「想いが通じた」と嬉しかったりするのでは?でもそっけない対応の「生徒」もいて、それはそれでファンの人達は嬉しそうなのです。

 

隣で仕事をしている僕も同じような気持ちになります。きっとあの「生徒」はヤンチャだなあとか、この「生徒」はこれから伸びていくなあと注目して、いつの間にかどっぷりとタカラヅカの世界にハマってしまうのです。

 

僕はタカラヅカ風の演出を自分の作品に取り入れようと考えて、バルコニーでスポットライトを当てて愛の告白をしてみたり、王子様とプリンセスのシーンを作ってみたり、歌を取り入れてみたりと色々とやってみたのですが、観客には気付いてもらえませんでした。スターが不在だったからでしょうか?きっとセンスもなかったでしょうし。でもタカラヅカの世界を知って、世界的な演劇の基準とはまた違った、ローカルを突き詰めた上での、歌舞伎や能とも違った、オルタナティブな伝統がタカラヅカにはあるということを認識しました。ガラパゴスゆえの凄みというものがタカラヅカにはあります。だから外国人に向けた観光スポットになるべきところですし、観たことのない方にはぜひ一度足を運んでいただきたいです。きっとやみつきになる味です。

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劇作家

松井周

1972年、東京都生まれ。1996年に平田オリザ率いる劇団「青年団」に俳優として入団。その後、作家・演出家としても活動を開始、2007年に劇団「サンプル」を旗揚げ、青年団から独立する。2011年『自慢の息子』で第55回...

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