上沼恵美子と明石家さんま、22年を経て「引き分け」で決着!? 世界に通用する大阪のお笑い文化

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■「日本で最も国際的な会話のセンスを持っているのは大阪人である」説

 

私は親戚がまるっと関西出身ということもあって血中関西人濃度が濃く、母親が京女なので母語が京都弁という環境で育った。今も家や酒の席など、気が抜けると基本的に関西弁をしゃべる。父の転勤で大阪に住んでいた10代後半の3年間は、多感なぶん、人生でも最高にエキサイティングなひとときだった。

 

大人になって欧州に住んでいた頃、周りの日本人の中では関西出身の男女たちが最も異文化コミュニケーション能力が高く、どんどん日本人コミュニティーを飛び出して交わっていくのを見て、「そらそうやんなぁ」と思った。言語的に不完全である気後れだとか、よく様子がわからないがゆえの遠慮だとか、そんなのは全く非合理で要らぬ気づかい。わからないことがあったら、身振り手振り総動員していいから、「まず聞こう」。“シャイ”とは美徳でも何でもない。伝えてなんぼの文化では、それは自分が傷つきたくないがゆえの自己防衛と見え、不信感さえ与えてしまうものだ。

 

日本での生活を経験した外国人が「一番住みやすかったのは大阪。関西人は日本において最も国際的な会話のセンスを持っている。英語力なんて関係ない」とツイッターで評し、それに共感する他の外国人がこぞって「だよねー」とリプライを飛ばしたりするのを読むと、わが意を得たりとニンマリする。自分は黙っておきながら相手には「デリケートなウチらの思いや流儀を察しろ」なんて、従来の日本的なコミュニケーションは、怠惰でアンフェアで「国際的に失礼」なんじゃないか? それは自分が外国に行った時、同じことをされたと想像すればなんとなく理解できるのじゃなかろうか。「言いたいことがあったらちゃんと言ってよ。文化が違うんだから、教えてよ。こっちはわからないだけなんだからさぁ。話さなきゃ通じるわけないじゃん?」ってなもんである。

 

 

■現代大阪が生んだ正義?

 

だからタレントの上沼恵美子は、関西という日本国内に稀な国際感覚を備えた文化だからこそ生まれた、 “ 現代日本の正義”なのではないかと思っている。トークバラエティ『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ系列)では上西小百合議員に「卑怯で高慢ちき」と辞職勧告を突きつけて滅多斬り、二股騒動の渦中にあった狩野英孝を「別れなさい。お父さんが泣いてるで」と公開説教。誰を相手にしても、独特の頭の回転の速さで「えみちゃんだから聞ける」「えみちゃんだから笑える」ツボへと一直線だ。

 

関西の女帝だとか、大阪のおばちゃん代表、などという表現もよく聞くが、そんな表現には不足感が際立つ。アシスタントや女子アナやコメンテーターなら佃煮にするほどいても、人々の議論を回し、場を支配する女性司会者が育たない日本という風土で、彼女は今や日本を代表する名・女性司会者である。そして気づくのだ、今の日本で他に女性司会者って誰がいたっけ? 事実上、誰もいないのではないか? だから上沼恵美子という漫才師出身の司会者の存在が受け入れられ、女による歯に衣着せぬ物言いが公共の電波で成立し、面白がられ共感される文化は、日本にしては相当先進的。今どきの “ グローバル・スタンダード”たる “ ダイバーシティ”に見合う唯一無二の文化なのだ。

 

 

■笑いは「媚び」じゃない

 

18日(土)放送の『さんまのまんま大阪から生放送SP2016』にて、「共演NGに至った22年前の遺恨をめぐり、帝王と女帝でトークを戦わせた」とされた、明石家さんまと上沼恵美子。「謝罪要求」「激論」「嫌な空気」とあちこちでセンセーショナルに評されていた放送の動画を見たけれど、それは「嫌な空気」とは全く異質のものだ。仮にかつて二人の間に気まずさが存在したとしても、お互いに優れたトークの腕を持つ二人が、同じ土俵でそれをネタとして作り出して見せた、公正な笑いの姿があった。

 

“ 激論”という言い方も、これを書いたのは関西人じゃないなぁ、関西人だとしたら本気じゃないな、という気がする。関西人同士が声を張って畳み掛けるようなテンションで会話をすると喧嘩に聞こえる、というやつで、どこにも悪意や怒りなどの尖ったものが存在していない、だけどどこかにピリッとしたスパイスも配しながら押し引きし、最後は笑いに落とそうとの意図がちゃんと見える、プロフェッショナルでテクニカルなトークのお手本のような放送だった。最後の4分の1ほど、えみちゃん側の気負いのせいか、すこーし冗長な気はしたけれど。

 

「謝ってよ」「謝るのはそっちでしょう」「いや謝らへん」という押し問答で表されるものは、お互いベテランとしての矜持と、22年を経て「引き分け」で決着つけとこ、とのお互いの合意。だから、ハナっからどっちがどっちを言い込めてやろうとか、謝らせてやろうとか、勝負をつけてやろうなんて野暮はないのだ。コメディアンである二人にとって、そこは気持ちの良い、洒脱な笑いにならなければ、双方にとって負けだから。

 

視聴者の感想に、「上沼恵美子の負け」「結局譲るんだな、さんまのほうが格上か」「やっぱり上沼恵美子も女だな、最終的には媚びてさんまに寄せたよな」などという戯言があったが、無粋の極み。あの放送のどこに女の媚びがあったというのか、アンタの目は節穴か。東京での人気番組を大阪から生放送するさんま、大阪での出演ならと呑んで出演した上沼恵美子、お互いにそれぞれなりの笑いにし、お互いに花をもたせて終わった二人ともの勝利だ。

 

全国区じゃないかもしれない。でも、自分の守備範囲をきっちり決め、その中で確実に自分なりの笑いを取って共感を広げていく上沼恵美子の芸の粋(すい)。どうも世間にはお笑いというものを馬鹿にする不感症の野暮天どもがいるけれども、男だろうが女だろうが、笑いは媚びなんかじゃない。「笑わせる」行為とはすなわちサービス精神であり、快さを共有する、場の感情の支配なのだ。今、 “ 女の活躍”とやらの周辺が一ミリも口角の上がらない真面目くさった空気で、あぁつまらない。「日和るな、一枚岩になって闘え」とか言われて、全体主義国家や宗教以外にいったいどこの人間(個人)の集まりが”一枚岩”なんかになるんだよ、気持ち悪いなぁ!

 

皮肉だとかユーモアだとか、譲歩だとか思いやりだとか、ちょっとでもガチンコの闘いをずらして柔軟さを見せると「媚び」だと言われるけど、機転や柔らかさやしなやかさを持たない種(しゅ)は滅びるよ。笑わせた方の勝ち、気持ち良く笑った方も勝ち。笑えないヤツだけが独り大敗。ほんなら笑っとこ、せやろ?

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コラムニスト

河崎 環

河崎環(かわさきたまき)/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭学園中高から転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Web...

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