【中年名車図鑑|初代 日産マーチ】ド派手なプロモーションとは裏腹に、意外と真面目な優等生だった

車・交通

大貫直次郎

2016年開催のパリ・サロンにおいて、日産自動車は第5世代のマイクラ(日本名マーチ)を発表する。その舞台でC・ゴーン会長は5代目を「初代と同様に“革新的”な小型ハッチバック車」と評した。では、初代はどのように革新的だったのか。今回は、近藤真彦さんをイメージキャラクターに据えて「マッチのマーチはあなたの街にマッチする!」のキャッチコピーで大きな話題を呼んだ初代マーチ(1982~1992年)で一席。

 

 

【Vol.21 初代 日産マーチ】

1980年代初頭の日本の自動車マーケットは、新世代のコンパクトカー・ブームで盛り上がっていた。1981年10月に登場したAA型ホンダ・シティが爆発的な人気を獲得し、これに刺激を受けたG10型ダイハツ・シャレードやKP61型トヨタ・スターレットといった先陣モデルが意欲的なマイナーチェンジを敢行する。結果として、新進のコンパクトカー群は若者層を中心に大いに注目を浴びていた。

 


■ホンダがシティだからマーチ(街)になった!?


この状況を国産№2メーカーの日産自動車が黙って見過ごすはずがない。1981年10月開催の第24回東京モーターショーで、「NX-018」と称する1リッターエンジン搭載の参考出品車を雛壇に上げる。さぁ、この後すぐに市販版の登場か、と思われたが、日産は違う戦略を打ち出した。広告を使って、デビュー前のクルマのネーミングを大々的に一般公募したのだ。市場デビューに備えてクルマの前評判を煽る……いわゆるティザーキャンペーンの手法は、コンパクトカーの激戦区で成功するための綿密な作戦だった。

 

いうなればティザーキャンペーンのはしり。500万通以上の公募から車名が選ばれた


応募総数は565万1318通にも達する。その中から審査員が選んだ名称は「マーチ」だった。当時のクルマ好きのあいだでは「ホンダがシティだからマチ(街)になったのか」という噂がささやかれる。真偽の程は定かではないが、とにかく大々的な前宣伝を経て、1982年10月に日産初のFFリッターカーのK10型マーチがデビューした。

 

ボディタイプは3ドアハッチバック。新開発の1リッターユニットを組み合わせた

マーチのメカニズムは、すべて新開発だった。パワートレインには「できる限り小型で軽量な形のなかに、いかにして時代が要求する性能を実現できるか。つまり、どこまで燃費をよくしながら、走りの性能を伸ばすことができるか」を開発テーマに掲げたMA10型987cc直列4気筒OHCエンジンを搭載する。小型・軽量に関しては、シリンダーブロックの材質をアルミ合金製とするとともに、シリンダーレイアウトには4連サイアミーズ型を採用。さらに、鋳鉄製中空クランクシャフトの組み込みやエンジン全体の合理化設計などにより、全長609mm/全幅563mm/全高616mm/重量69kgというクラス随一の小型・軽量ユニットに仕上げた。燃費性能については、燃焼効率を高めるハイスワール吸気ポートや半球形の燃焼室の採用、9.5という高圧縮比などによって10モード走行燃費21.0km/リッター(5MT車)を実現する。高性能化に関しては前述の半球形燃焼室の採用と高圧縮化に加え、各部のフリクション低減や完全トーナメント型インテークマニホールドの装着などを実施。パワー&トルクは57ps/6000rpm、8.0kg・m/3600rpmに達した。また、MA10型は静粛性や耐振性の向上にも重きが置かれ、一体型メインベアリングキャップやゴム製タイミングベルトなどを内蔵する。組み合わせるトランスミッションには4/5速MTと3速ATを設定。懸架機構はフロントがマクファーソンストラット/コイル、リアが4リンク/コイルというオーソドックスな形式で、チューニングのしやすさと高い信頼性の確保を狙っていた。

 

居住性、機能性に優れたインテリア。シートのホールド性、クッション性も高かった


ボディタイプは3ドアハッチバックの1種(1983年9月に5ドアハッチバックを追加)。基本スタイルはイタルデザイン代表のジョルジエット・ジウジアーロ氏が担当し、それをベースに社内デザイナーがプロダクション版を手がける。空力特性は意外によく、クラストップレベルのCd値0.39を実現。また、コンパクトなボディ(全長3645~3785×全幅1560mm)やバーフィールド型等速ジョイントの採用などにより、最小回転半径はクラス最小の4.4mを成し遂げた。内包するインテリアでは、ひとクラス上に匹敵する広い室内空間や機能性に富んだインパネ、ホールド性およびクッション性に優れるシートなどの採用が訴求点。カラーリングもお洒落でハイセンスに仕立てていた。前宣伝は派手だったが、実車はシンプルな内外装とよく考えられた革新メカニズムを持つ真面目なFFリッターカーだったのだ。ちなみに、K10型マーチの開発主管を務めたのは、旧プリンス自動車工業のエンジニアで櫻井眞一郎氏のもと歴代スカイラインの開発に参画し、後に8代目のR32型スカイラインの開発主管、さらにはGT-R(BNR32型)の復活を実現した伊藤修令さん。当時を振り返って伊藤さんは、「それまでは主管の櫻井さんを陰で支える位置にいましたが、マーチでは前面に出る立場に変わりました。いろいろな場に出ましたが、慣れない派手な発表会はちょっと恥ずかしかったですね(笑)」と語っていた。

 

 

■さまざまな改良を加えながら10年も生産

 

マイナーチェンジでマーチ「ターボ」が登場。NAモデルと比べ、最高出力が49.1%、最大トルクが50%もアップ


K10型の初代マーチは、その後継モデルにはない大きな特徴がある。スポーツ仕様を意欲的にラインアップした点だ。まず1985年2月のマイナーチェンジでは、ターボチャージャーを組み込むMA10ET型エンジンを搭載し、エアロパーツを纏った3ドアのマーチ「ターボ」を設定する。自然吸気のMA10型をベースに、水冷式のHT-07型ターボチャージャーとクラス初のシーケンシャルインジェクション(点火順序同調式燃料噴射装置)、ECCS(電子集中制御システム)、Uターン型ロングインテークマニホールド、ストレート吸気ポートなどを組み込んだMA10ET型は、85ps/6000rpmの最高出力と12.0kg・m/4400rpmの最大トルクを発生。自然吸気比で最高出力が49.1%、最大トルクが50%もの性能アップを果たした。


さらに1988年8月には、ラリーのベース車となるマーチ「R」をリリースする。Rに搭載するエンジンは新設計のMA09ERT型。ラリーの競技区分のBクラスに収めることを目的に、MA10型のボア径を68.0mmから66.0mmに短縮(ストロークは68.0mmのまま)して排気量を930ccとし、そのうえで空冷インタークーラー付きのHT-10型ターボチャージャーとルーツ式のASN-09A型スーパーチャージャーを直列に配置したMA09ERT型は、2つの過給器の切り換えをバイパス制御弁によってなめらかにコントロールした。パワー&トルクはクラス最強レベルの110ps/6400rpm、13.3kg・m/4800rpmに達する。そして1989年1月になると、Rをベースに実用装備を加えたマーチ「スーパーターボ」を発売。110psを誇る強力エンジンはアグレッシブな外観を纏った770kgあまりの軽量ボディを俊敏に加速させ、またコーナリング時にはスタビライザー付き強化サスペンションやビスカス式LSDといったスポーツアイテムが存分に威力を発揮した。


初代マーチは時には大がかりに、時には細かな改良を加えながら、1992年まで販売された。3~4年でのモデルチェンジが一般的だった当時の国産車の中にあって、10年もの長きに渡って生産されたのは、優れた基本設計とエンジニアのいい意味での執拗なこだわりがあったからだろう。その伝統は、2代目のK11型(1992~2002年)にも受け継がれたのである。

 

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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