「食」は承認欲求を満たすためのネタツール!?「ガチャめし」は日本の飲食をどう変えるのか

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ついにあのHIKAKINまでもが動画のネタにしてしまった。兵庫県篠山市の西紀サービスエリアで8月末までの期間限定で行われている「ガチャめし」の話である。1回500円でハンドルを回すと600~2100円相当の食事の食券が当たるという「ガチャガチャ」で、ソンのないオトク感も手伝って大人気に。8月末までの期間限定ということもあり、連日長蛇の行列ができるほどなんだとか。


「この件について書いてほしい」と、編集部の40代男性編集者からご連絡をいただいた。編集部の若い子とこの話になり「何を食べるか考えるのめんどくさいから、すごくいいですね」という回答が返ってきて、「燃料というかエサみたいな感覚なんですかね……」とショックを受けているご様子。


僕自身は、人生で食べられる残りの食事の回数を数えながら、目の前の1食をどうするか悩むタイプだが、それゆえ考えすぎてしまうことがある。一周回って「何を食べるか考えるのが面倒」という気持ちもわからなくもない。もっとも日常が食べ過ぎなので、そういうときは、キャベツばかりをかじってたりもする。

 

 

■若者の「何を食べるか考えるのが面倒くさい」は当然


さて、実際問題「食への動機」は変化しているのか、調べてみたところ40年前の文献に行き当たった。1977年に「外食における食事動機に関する調査研究」(聖徳栄養短期大学紀要)という論文が発表されている。調査対象は女子学生と少し偏りはあるものの、それでも当時の若者の嗜好の一端は見えてくるはず。


この論文で「単数単独での外食の行動の動機」が調査されていた。第1位は「食事時間が自由だから」(12.7%)という理由。2位に「便利だから」(10.5%)。以下3位「買い物のついでに無意識に」(8.3%)、4位「メニュー選択が自由だから」(7.7%)と続く。


1970年代の一人暮らしというと、まだ食事が提供されるような下宿も多かった頃。現代の一人暮らしには欠かせないコンビニなんて、数えるほどしかない。主要コンビニチェーンの1号店出店時期を見てみるとファミリーマート1973年9月、セブンイレブン1974年5月、ローソン1975年6月、サークルK、サンクス、ミニストップ1980年。もちろん24時間営業店舗なんて、ほとんどなかった。


つまり当時の1位の「食事時間が自由だから」は食事時間が不自由だったことの裏返しであり、2位の「便利だから」は食事には一定の手間がかかるのが当たり前だったことが伺える。4位の「メニュー選択が自由だから」も当時はまだ選択の余地がなかったことを指していると考えていいだろう。


対して現代の若い人が「何を食べるか考えるのが面倒くさい」と考えるのは当然だ。バブルを経験し、日本の食は歴史上かつてないほど多彩な選択肢を獲得した。しかも世界中の料理が食べられるのに、世界的に類を見ないほどリーズナブル。望むと望まざるとにかかわらず、「食」にまつわる欲求がすんなり叶えられてしまう。そこには飢餓感が育つ時間も環境もない。現代の一般的な若者にとって、「食」はもはや渇望の対象ではないのだ。暴論を承知で言えば、いまや「食」は「インスタ映え」という承認欲求を満たすためのネタツールになってしまったとも言える。


HIKAKINは「ガチャめし」だけのために東京と兵庫を往復した。その目的は「食」ではなく、「ガチャめし」というエンターテインメントを体験することだった。だが500円ワンコインで600~2100円のメニューが味わえるような、“全当たりガチャ”に高揚感は少ないだろう。ハズレのない社会で育まれるのは、自分よりも高額メニューを引き当てた他の客を羨み、下を見ては優越感に浸るマインドである。そこにやってくるのは、「評価してやろう」と上から目線で重箱の隅をつつく“お店サーファー”ではないだろうか。


日本にはまだ素朴でいい店がたくさんある。そうした店を守り、育てるのは多少の「ハズレ」を許容し、店と二人三脚で歩むことのできる客ではないか。 好きな食を選び抜いて自分なりに組み立てる。「ガチャ」という外部装置化された楽しみに委ねるにはもったいない食が、われわれの身のまわりにはありすぎる。

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フードアクティビスト

松浦達也

フードアクティビスト/編集者&ライター 『dancyu』などの食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで、「調理の仕組みと科学」「食文化」「食から見た地方論」など幅広く執筆、編集を行う。テレビ、ラジオでの食トレンド...

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