【中年名車図鑑|初代トヨタMR2】トヨタの革新的な一面が垣間見える、国産初の量産ミッドシップスポーツ

車・交通

大貫直次郎

日本トップの大メーカーゆえに、保守的なイメージが強いトヨタ自動車。しかし、折に触れて画期的なクルマを生み出す革新ブランドとしての地位も併せ持っている。今回はトヨタの80年代の代表的なエポック車で、国産初の量産ミッドシップスポーツカーとなった初代MR2(1984~1989年)で一席。

 

 

【Vol.35 初代トヨタMR2】


モータリゼーションの成熟に伴い、クルマの使用パターンの多様化がいっそう進んだ1980年代初旬、トヨタ自動車は若者層に向けた新たなジャンルのスポーツモデルを模索する。スポットを当てたのはイタリアのフィアット社が開発したX1/9(1972年11月デビュー)。量産エンジンを横置きでミッドシップ搭載し、2シーターのMR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)スポーツモデルに仕立てる設計は、比較的コストがかからず、しかもインパクトの強いニューモデルを生み出せる斬新な手法だった。米国のGMでは、この手法に則って1983年8月にポンティアック・フィエロを1984年モデルとして発売する。そしてトヨタは、1983年10月開催の東京モーターショーで試作ミッドシップスポーツモデルのSV-3を参考出品。これをベースに徹底した仕様変更を行い、1984年6月になって国産車初の量産ミッドシップスポーツとなる「MR2(AW11/10)」を市場に放った。

 

 

■独創的なスポーティデザインの量産ミッドシップ

 

全長3925×全幅1665×全高1250mmというコンパクトボディにミッドシップレイアウト、2シーターという個性をプラス。当時の若年層に熱い支持を受けた


“Midship Runabout 2seater”の略称を車名としたMR2は、若者層を中心ターゲットに据えた“スポーティコミューター”の創出を開発コンセプトに据える。エクステリアはウエッジを利かせたコンパクトなボディを基本に、リトラクタブル式ヘッドライトを配した広くて低いフードや面一で包み込むようなカラードソフトフェイシアバンパー、直立したバックウィンドウなどを組み込み、メカニカルで力強いムードを演出。取り外してフロントトランクに収納できるリムーバブルムーンルーフも設定した。ボディサイズは全長3925×全幅1665×全高1250mm/ホイールベース2320mmとコンパクトに収める。また、クルマのキャラクターをイメージした鷲鷹類の鳥と型式のAWを組み合わせたシンボルマークを新たにデザインし、これを七宝焼きのエンブレムに仕立ててフロントフードに装着した。


内包するインテリアについても、独創的なスポーティデザインでアレンジする。インパネ本体は傾斜をつけたうえで低めに設定し、そこに機能を集約した計器盤を組み込んで運転に集中できるコクピットを実現。運転席には新設計の7ウェイスポーツシートを装備した。

 

メカニカルでスポーティなインパネ。ホールド性の高い2トーンのシートがいいアクセントに


基本コンポーネントはAE80型系の5代目カローラ用をベースとする。ミッドシップ配置のエンジンは、4A-GELU型1587cc直列4気筒DOHC16V(130ps/15.2kg・m)または3A-LU型1452cc直列4気筒OHC(83ps/12.0kg・m)を横置きで搭載。組み合わせるトランスミッションは4A-GELUエンジンに5速MTと電子制御式2ウェイオーバードライブ付4速AT(ECT-S)、3A-LUエンジンに5速MTと油圧制御式2ウェイオーバードライブ付4速ATを採用する。懸架機構には専用セッティングの前マクファーソンストラット/後デュアルリンクストラットをセットした。

 

 

■マイナーチェンジでSC車やTバールーフ仕様を設定

 

86年8月のマイナーチェンジでスーパーチャージャー(SC)付エンジン(ネット表示145ps/19.0kg・m)搭載車とTバールーフ車がラインアップされた


グループ企業のセントラル自動車(神奈川県相模原市)で生産し、4A-GELUエンジン搭載の1600G/1600Gリミテッド(AW11)、3A-LUエンジン搭載の1500S(AW10)という3グレード構成でスタートしたMR2は、MRレイアウトならではのキビキビとした走りや意外なほどに快適な乗り心地、車両レイアウトがひと目でわかる簡潔なスタイリングなどで好評を博す。また、フロントのトランクとエンジン後方のリアトランク、シート後ろの荷物スペースと、想像以上に積載性に優れていたこともユーザーから高く評価された。


国産初の量産ミッドシップスポーツをさらに高次元に発展させようと、開発陣はデビュー後も鋭意改良を重ねていく。1985年6月にはバンパーのボディ同色化などの小変更を実施。1986年8月にはマイナーチェンジを行い、内外装の一部変更とともに、スーパーチャージャー(SC)付の4A-GZE型1587cc直列4気筒DOHC16Vエンジン(ネット表示145ps/19.0kg・m)搭載車とTバールーフ車をラインアップに加える。4A-GZEエンジン搭載車はパワーアップに即して足回りを強化したものの、コーナリング時などの挙動はかなりトリッキーになり、丁寧なアクセルワークとステアリングワークが必要だった。そのぶん、うまく操れたときの快感はひとしおで、MR2乗りならではの楽しみでもあった。


1988年8月になると再度のマイナーチェンジが敢行され、電動格納ドアミラーやハイマウントストップランプの設定、内装表地の一部変更、Tバールーフのハーフミラーコート化などを行う。そして、1989年10月にはフルモデルチェンジを実施。第2世代となるSW20型系に移行した。

 

 

■MR2を基にWRC参戦に向けた「222D」を開発


ところで、トヨタのモータースポーツ部門およびTTE(Toyota Team Europe)は今回ピックアップするMR2をベースとした大胆なプロジェクトを1980年代中盤に立ち上げる。WRC(世界ラリー選手権)のグループBカテゴリー、さらには発展版として新設予定のグループSカテゴリーに準拠したラリーマシンを開発し、既存のセリカに変えて投入しようとしたのだ。コードネームを「222D」とした新マシンは、ミッドシップに搭載するエンジンを開発途中の3S-GTE型1998cc直列4気筒DOHC16Vターボ、駆動機構をフルタイム4WDで構成する。シャシーやボディなども大胆に刷新した。WRCで活躍中のプジョー205ターボ16などと同様、ハイパワーターボエンジンのミッドシップ4WDというレイアウトで仕立てられた222Dは、走行テストを繰り返して完成度を高めていく。しかし、その最中のWRC1986年シーズンにおいて不幸な死亡事故が重なり、この状況を鑑みた主催のFISA(国際自動車スポーツ連盟)はグループBの廃止、さらにはグループSの中止を決定した。この時点でトヨタ222DのWRC挑戦の道は断たれ、参戦計画は白紙撤回されたのである。

 

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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