【中年スーパーカー図鑑|マセラティ・ボーラ】“ダブルシェブロン”の提言で誕生したマセラティの旗艦スポーツ

車・交通

大貫直次郎

イタリアのボローニャで創業し、後に本拠をモデナに移した名門スポーツカーメーカーのマセラティは、1971年開催のジュネーブ・ショーにおいて新世代のスーパースポーツを発表する。Tipo117のコードナンバーをつけた同社初のミッドシップロードカー、「ボーラ」を雛壇に上げたのだ──。今回は「アルプス山脈からイタリアのロンバルディア平原に吹く北東からの強風」を意味するBORAの車名を冠したトライデントエンブレムのスーパーカーで一席。

 

 

 

【Vol.4 マセラティ・ボーラ】

 

1966年にビニヤーレがデザインした2+2・2ドアノッチバーククーペのメキシコとギアのチーフデザイナーのジョルジエット・ジウジアーロがデザインした2シーター・2ドアクーペのギブリを発表し、車種ラインアップの拡充を図ったイタリアの高級スポーツカーメーカーのマセラティ。しかし、同社の経営状況は決して順風満帆なものではなく、回復のためには他メーカーとの業務および資本提携が必須課題とされた。そこでマセラティは1965年開催のジュネーブ・ショーの場でフランスのシトロエンと会談を持ち、後にマセラティのエンジンを使ったシトロエン・ブランドの新グランツーリスモを開発する旨を決定する(1970年デビューのシトロエンSMとして結実)。さらに1968年にはマセラティの自社株の60%あまりをシトロエンが譲り受け、マセラティは同社の傘下に入ることとなった。

 

 

■スポーツカーのミッドシップ化の潮流に乗って──

 

経営の安定化を推し進めるマセラティ。ここで親会社のシトロエンからひとつの提案がなされる。当時、スポーツカーのカテゴリーで新たな潮流となりつつあったミッドシップレイアウトを、マセラティでも導入しないかと進言されたのだ。経営の多面化と技術の進展を狙うダブルシェブロン(シトロエンのブランドマーク)の戦略に、トライデント(マセラティのブランドマーク)が組み込まれる形の新プロジェクトは、結果的にTipo117のコードナンバーで企画が進められることとなる。開発を主導したのはマセラティのチーフエンジニアであるジュリオ・アルフィエーリ。また、車両デザインに関してはギアから独立してイタルデザインを興したばかりのジウジアーロが担当した。

 

 

■マセラティ初のミッドシップロードカーの登場

 

ボーラは経営危機にあったマセラティの経営安定化のため、親会社シトロエンの提言で生み出された

Tipo117のプロジェクトは、1971年に開催されたジュネーブ・ショーの舞台でついに陽の目を見る。マセラティ・ブランド初のミッドシップロードカーとなる「ボーラ」がワールドプレミアを飾ったのだ。車名は「アルプス山脈からイタリアのロンバルディア平原に吹く北東からの強風」を意味するBORAに由来。ミストラル(MISTRAL)やギブリ(GHIBLI)に続いて、風を表すネーミングを冠していた。


ボーラの基本骨格には、スチール製モノコック構造をベースにフロアを縦貫する2本の角断面鋼管メンバーを組み込んだ新設計ボディを採用。メンバー後端部には鋼管製のサブフレームをセットし、エンジンやドライブトレイン、リアサスペンション、リアカウルなどを組み付ける。サスペンションには前後ダブルウィッシュボーン/コイルを導入。また、操舵機構にはラック&ピニオン式を、制動機構には前後ベンチレーテッドディスクブレーキを、タイヤ&ホイールには215/70VR15+カンパニョーロ製マグネシウム合金ホイールを装備した。機構面で特徴的だったのが、LHM(Liquide Hydraulique Mineral)と称する鉱物オイルを使った油圧作動システムの採用だ。親会社のシトロエンの技術を応用したLHMは、ブレーキブースターやリトラクタブル式ヘッドランプの開閉、シートおよびペダル位置のアジャストなどを司っていた。


ミッドシップ搭載されるエンジンは、既存の3機種のV8ユニットの中から中間排気量の4719cc・V型8気筒DOHCが選択される。専用チューニングが施されたオールアルミ製5ベアリングのV8ユニットは、燃料供給装置に4基のウェーバー42DCNFキャブレターを装着。圧縮比は9.5に設定し、310hp/6000rpmの最高出力と46.9kg・m/4200rpmの最大トルクを発生した。組み合わせるトランスミッションはZF製の5DS25型5速MTで、最高速度は280km/hと公表される。エンジンを縦置きとし、またキャビンの足元空間を広くとったためにホイールベースは2600mmと長め。一方、全長はリアのオーバーハングを切り詰めた効果で4335mmに抑えられ、全幅×全高は1768×1134mmと比較的コンパクトなサイズを実現していた。


ジウジアーロが手がけたスタイリングは、曲線とエッジを効果的に組み合わせた上品かつ流麗なフォルムが訴求点となる。Aピラーからルーフにかけてのパネルをステンレスで仕立てた点もアクセントとして利いていた。一方で内包する2シーターのインテリアは、総革張りのシートやドライバーを囲むようにアレンジしたインパネ造形などが特徴。バケットタイプのシート自体はスライド&リクライニング機構が未装備で、運転ポジションはシートの高さ、ペダルの前後、ステアリングの上下&前後の調整で行う仕組みだった。

 

 

■エンジン排気量を4.9リッターに拡大

 

ジウジアーロの手になる、流麗で伸びやかなデザインとV12にも匹敵するハイパフォーマンスで多くのクルマ好きを魅了した


フェラーリやランボルギーニとは一線を画すその端正かつ上質な内外装デザインに、V8ながら12気筒マシンに匹敵するハイパフォーマンスを演じたボーラは、マセラティらしい旗艦スーパースポーツとしてコアなファンから熱い支持を集める。1974年モデルからは最大のマーケットであるアメリカへの輸出を開始。排出ガス規制をクリアしながらパフォーマンスを維持する目的でエンジンは4930cc・V型8気筒DOHCユニットへと換装し(最高出力は300hpヘとダウン)、エンジンフードには熱対策としてルーバーを、前後バンパーには安全対策として衝撃吸収タイプを設定した。そして1976年モデルからは、本国仕様でも4930cc・V型8気筒DOHCエンジンを採用する。パワー&トルクは320hp/49kg・mへとアップ。内外装パーツにも小変更を加えた。


1972年には2965cc・V型6気筒DOHCエンジンを搭載する2+2ミッドシップスポーツのメラクを発表するなど、積極的な車種展開を図ったマセラティだったが、一方で会社自体の経営はオイルショックなどが影響して逼迫。親会社のシトロエンも不振をきわめ、最終的にプジョーの主導で新グループのPSA・プジョーシトロエンを形成した。マセラティとの業務提携に大きなメリットを感じなかったプジョーは、同社との契約を解消。ここでマセラティは一気に苦境に陥るものの、積極的に事業の拡大を図っていたデ・トマソ・グループが救済の手を差し伸べ、1975年より同グループの傘下に収まることとなる。そして、デ・トマソ・パンテーラとダイレクトに競合するボーラの販売は中止が決定。パーツ類の在庫などの関係で1978年まで生産が行われ、トータルで560台あまりのボーラが市場に送り出されたのである。

 

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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