【中年名車図鑑】メーカーとユーザーが大切に育てた「真の名車・サニトラ」

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大貫直次郎

多くの国産自動車メーカーが500kg積クラスの小型トラックの生産に見切りをつけ始めた1970年代初頭、日産自動車はあえてこの流れに逆らい、サニー・トラックの全面改良を実施する。その冒険とも思える車種戦略は、メーカーが予想した以上の成果をもたらすこととなった――。今回は超ロングセラーモデルに発展した第2世代の“サニトラ”(1971~1994年)で一席。

 

 

【Vol.37 2代目 日産サニー・トラック】


小型トラックのブームが一段落し、自家用小型車のマイカーが主流を占めるようになった1960年代終盤の日本の自動車市場。各自動車メーカーは小型トラックが役割を終えたと判断し、次第に開発と生産規模を縮小するようになる。一方、ダットサン・サニー・トラックの販売が堅調な日産自動車は、他メーカーとは別の戦略を採った。小型トラックを基幹車種のひとつに据え、次期型の開発を鋭意推し進めたのである。また、生産工場に関しては提携関係にあった愛知機械工業に移管する旨を決定した(1970年2月より実施)。

 

 

■2代目サニトラに求められた性能とは――


次期型サニー・トラックの開発に際し、日産のスタッフは「加速性、運転のしやすさ、積載性、経済性、安全性といった項目を、さらに高い次元に引き上げる」という目標に掲げる。ベース車両は開発中の2代目サニー(B110型)で、既存モデルと同様、モノコックボディのトラックに仕立てることとした。

 

1971年1月に登場した2代目サニー・トラック。メッキパーツを多用した、豪華でスタイリッシュな雰囲気が特徴。上級モデルと標準モデルの2グレード構成だった


車両デザインに関しては、より豪華でスタイリッシュな演出を施す。フロントグリルはセダンモデルと共通のステンレス製3ピース構造を採用。華やかなメッキパーツの装着箇所も従来型より増やした。さらに、ボディ各部の強度や剛性もアップさせる。ボディカラーには、サンシャインホワイト/サンシェイドブルー/サンキストイエローの3タイプを設定した。内包するインテリアについては居住空間と荷台スペースを広げたうえで、インパネデザインの近代化やシート形状の変更、ヒーターファンを利用した強制ベンチレーションの採用などを実施する。また、トランスミッションにはユーザーの使い勝手を考慮してフロア式4速MTとコラム式3速MTを用意した。搭載エンジンはセダンなどと共通のA12型1171cc直列4気筒OHVユニットを組み込む。5ベアリング・クランクシャフトなどを内蔵した新ユニットは高い静粛性と吹き上がりの良さを確保しながら、68ps/9.7kg・mのパワー&トルクを発生した。足回りに関してはフロントにマクファーソンストラット式の独立懸架を新採用し、乗り心地のさらなる向上を図った。


2代目となるサニー・トラックは、B120の型式を冠して1971年1月に市場デビューを果たす。車種展開は上級仕様のデラックスと標準モデルのスタンダードを用意。2タイプともフロア式4速MTとコラム式3速MTの選択を可能とした。

 

 

■時代に即した改良を実施

 

小型トラック市場はサニー・トラックの独壇場。1973年には荷台部分を伸ばしたロングボディ車が登場

他メーカーの小型トラックが販売を縮小、もしくは中止したこともあり、B120型系サニー・トラックは順調に販売台数を伸ばしていく。そして乗用モデルが3代目(B210型系)に移行したのと同時期の1973年5月には、ホイールベースを230mm、荷台部を295mm延長し、プロペラシャフトに2分割3ジョイントを採用したロングボディ車(GB120型)が追加され、小型トラック市場のシェアを圧倒するようになった。ちなみにロングボディ車のGB120型には、タンデムマスターシリンダーのブレーキ機構やクランクケース・ストレージ方式の燃料蒸発防止装置などが組み込まれ、安全・環境性能を高めていた。


日本の小型トラックの定番モデルに成長した2代目サニー・トラックは、その後も着実に進化の過程を歩む。1975年10月には、エンジンの改良および酸化触媒の装着による日産排出ガス浄化システム(NAPS)の採用によって昭和50年度排出ガス規制を克服。1978年4月にはマイナーチェンジを実施し、樹脂一体成型ラジエターグリルやタルボ型フェンダーミラー、丸形メーター、間欠ワイパー、黒色リアコンビネーションランプリムなどを装着するB121/GB121型系に移行した。さらに1981年10月になると、排出ガス再循環装置(EGR)の改良により昭和56年度排出ガス規制をクリアしたモデルが登場。同時に、ICオルタネータや運転席ドアポケット、アンダートレイ、リアゲートチェーン、大型ロープフックなどを採用して信頼性と利便性の向上を果たした。

 

1981年モデルのインテリア。ドアポケット、アンダートレイなど装備の充実で利便性の向上を図った


2代目サニー・トラックの進化はまだまだ続く。1985年1月にはブランド名をダットサンからニッサンに変更し、翌86年10月にはフロント合わせガラスやELR付きシートベルトを導入する。1988年10月になると、電子制御キャブレターや三元触媒、O2センサーを用いた混合比フィードバックシステムなどを採用して昭和63年度排出ガス規制およびNOx規制に適合させたB122/GB122型系がデビュー。このモデルでは、角型ヘッドランプの採用やフロントグリルの意匠変更、シート地とカラーリングの一新、フロントブレーキのディスク化、ラジアルタイヤの装着、点火システムのフルトランジスタ化などを実施し、内外装と走りのイメージチェンジが図られた。


なぜ、長期間に渡ってサニー・トラックが売れ続けたのか。もちろん、クルマそのものの出来の良さ、具体的にはA型エンジンのリニアで気持のいい吹け上がりや軽量ボディ+FR駆動方式による俊敏な運動性能といった特性がクルマ好きを惹きつけたことが大きな理由だが、ほかにも多くの要因があった。


バニングなどの改造車のベースモデルとして高い人気を博した、モータースポーツの安価なベース車両として重宝された、1980年代終盤以降のレトロカー人気の高まりの中で“本物のレトロカー”として注目が集まった、メカいじりの基本を知るうえで格好の教科書となった――。こうした数々の特徴が、サニー・トラックの寿命を伸ばしたのだ。

 

1988年のマイナーチェンジで角型ヘッドランプに変更。同時にインテリアのブラッシュアップ、フロントディスクブレーキ化等も行われた

結果的にサニー・トラックは、バブル景気崩壊後の1994年11月に生産が中止される。日産の業績悪化による車種整理、環境および安全対策に関わるコストの大きさなどが、生産終了の理由だった。しかし、サニー・トラックは新車カタログから落ちた後も中古車市場で高い人気を維持し続け、2000年代に入ってもその人気は衰えないままでいる。開発陣と生産技術陣が長いあいだ愛着を込めて研鑽を積み重ね、ユーザーもその努力に応えるように愛でる――。サニー・トラックはメーカーとユーザーで育んだ、真の名車なのかもしれない。


ちなみに、2代目サニー・トラックは日本での生産を終了した後も、Nissan Motor Company South Africa Ltd.(南アフリカ日産自動車会社)の工場において、現地仕様の1400BAKKIEが2008年9月まで生産される。1400BAKKIEの搭載エンジンはA14型1397cc直列4気筒OHVユニットで、組み合わせるトランスミッションには4速MTと日本仕様にはない5速MTをラインアップ。ルーフ部は日本仕様と異なるハイルーフ風に仕立てられていた。

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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