【吉川圭三のメディア怪人録】スタジオジブリ・鈴木敏夫プロデューサーは怒るのか?

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『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のから騒ぎ』『1億人の大質問!笑ってコラえて』『特命リサーチ200X』……日本テレビで数々のヒット番組を送り出したのち、(株)ドワンゴのエグゼクティブ・プロデューサーとして新たなコンテンツのかたちを追い求める吉川圭三氏。本連載では、氏がテレビ人生35年、ネット人生3年半のなかで出会った“メディア怪人”の異聞録を記す。

 

が、氏にまつわるエピソードはつきない。今回は、鈴木氏の“怪人っぷり”を「怒り」にまつわる出来事を軸に展開していく。
 

 

■第2回 スタジオジブリ 鈴木敏夫プロデューサー『怒り』編

 

写真:AP/アフロ

私は鈴木さんが怒ったのを見たことは滅多にない。人間が怒りの感情を露わにするとき、それが効果的か? 逆効果になるか? 状況によって非常に厄介な問題に発展するのだが、その影響を事前に配慮していない場合、殆どの場合、逆効果になる事が多い。「無駄に怒らないことをコントロール出来る能力」は本当の大人にしかできないことなのかもしれない。

 

私の父は戦後の焼け跡から中小企業を設立し経営していたそれなりの苦労人だが、「人を怒らざる得ないときは、出来るだけ短く、芯を食ったことを怒るのが良い」と話していた。文京区湯島で店を切り盛りしていた祖父から教わったと言うのだから年季が入っている。

 

不肖、私も出来るだけその教えに従っているが、自分が理屈に合わないことにキレている様子を考えると、ある程度は計算しているとはいえ、父や祖父ほどの老練さを未だに持ち得ていないことがわかってきた。

 

 

■著作家・本橋信宏との邂逅

 

こんなことがあった。本橋信宏さんというノンフィクション、エッセイスト、小説、評論など多岐に手がける著作家がいる。「トトロの森」の近くの所沢市に生まれ、早稲田大学政経学科を出たインテリで週刊誌ジャーナリズムを志向していたが、大学を出て、当時巨万の富を持つ裏エロ本出版者・AV監督である、かの村西とおる氏に取り込まれ、ジャーナリズムとは名ばかりの二流週刊誌に関わるようになったという、異色の人物だ。

 

裏本・AV関係から赤軍派の議長や人妻風俗嬢へのインタビューまで、本橋さんの仕事の幅は広い。昨年10月、自身の人生を狂わせた村西とおる氏を冷徹な目で描いた『全裸監督 村西とおる伝』がベストセラーになり、講談社ノンフィクション賞の最終選考まで残ったことは記憶に新しい。

 

一方そのころ、本橋氏は「街」にも目を向けていた。過去その街にこびり付いた決して消えない因縁・記憶を描写してゆく。『東京最後の異界 鶯谷』から『迷宮の花街 渋谷円山町』『上野アンダーグラウンド』と来る。私は面白いアプローチとその描写力によって、隠れた本橋本ファンになった。

 

そしてある日、本橋さん本人とある人を介してコンタクトが取れたのである。「上野の後は一体何を書くのですか?」と聞くと返事が来た──「新橋です」。

 

私は「五反田・蒲田あたり」かなと思っていたので意外だった。「今度、メシでも」という話になり、何の考えも無くスタジオジブリの『熱風』の編集長・額田久徳さんを呼んだ。同氏も本橋本のファンであることを聞いていたからである。

 

名物「ニュー新橋ビル」の入り口に立っていた本橋さんは、腰の低い人当たりの良い博学の紳士だった。地下にある異常に安いがなかなか美味い中華料理屋に入った。

 

必然的に新著『新橋アンダーグラウンド』(2017年11月16日発売予定)の話になった。ニュー新橋ビル自体「都心の秘境」という様相を呈している。怪しい居酒屋やスナック、夥しい数の中国系マッサージ店、性病科、SM用具屋──かつて、戦後東京でもっともモダンと言われたビルだが、もはや都心の魔窟と化していた。どちらからもなくこんな話になった。

 

「こんな街になりましたが、新橋には『徳間書店』もあったんですよね。考えてみれば猥雑ながら凄い街ですよね」

 

ウーロンハイで酔った私の口からいつの間にかこんな言葉が出ていた。

 

「いまあの熱い頃の『徳間』を語れるのはジブリの鈴木さんくらいかな~」

 

本橋さんは、自分でこの名前を要求した訳でもないのでポカーンと驚嘆している──「鈴木さんが新橋の徳間について語る? そんなこと、出来るんですか?」

 

額田さんが「鈴木さんに聞いてみましょう。結果は保障できませんが」と言った。その数日後、本橋さんの鈴木さんに対するインタビュー承諾と日時が知らされた。

 

耳を疑った──アニメ界の巨匠・宮崎駿監督を翻弄し翻弄されてきた鈴木敏夫と、AV界の帝王・村西とおる監督に振り回され冷酷にその一部始終を描いた本橋信宏が邂逅するのだ。


 

■鈴木敏夫に「最も聞きたくて最も聞きにくい話題」を切り出したのは

 

都心のマンションにある鈴木さんのアトリエ「れんが屋」で、本橋氏と本の編集者が虎屋の羊羹を持って現れる。鈴木敏夫さんに『熱風』編集長・額田さんと私も立ち会いの元、本橋さんからのインタビューが始まる。

 

鈴木さんはあの「事件とヤクザとエロ」の雑誌『アサヒ芸能』編集部に3年間も居た。その間に経験した、生々しい、アンダーグラウンドで、タブーな、地を這うような話が次々に語られる。本橋さんも唸っている。とめどなく1時間半ほど語っただろうか? 長いお付き合いの私が聞いたことのない「アサヒ芸能編集部内部」と、その取材対象の裏話にまつわる俄かには信じがたい内容だった。

 

もう十分という感じもあったが、本橋氏からもなんとなく感じる、そして私も聞きたいある人物の件が残されていた。それは……徳間書店創業者・徳間康快氏についてであった。

 

センシティブな本橋氏は躊躇っているらしい。私が聞いた。

 

「本橋さん。徳間社長の事をお聞きにならないんですか……」

 

その直後、鈴木さんが強い語調で言った。

 

「吉川さん、今回は本橋さんの取材です」

 

語気の荒さに、本橋さんも聞けない雰囲気になった。確かに徳間康快氏の本はほとんど出ておらず、稀に出ていても中途半端なモノが多いと鈴木さんから聞いていた。確かに、様々な人脈を持ち複雑な多面体の様なメディアの巨人の記録はほとんど無く、鈴木さんも様々な局面を目撃しているが、全体像を語らずに軽々と徳間社長のエピソードは語れないということなのだろうか。

 

沈黙の後、空気を察したのか額田編集長が「良い本になればいいですね」と締め、和やかな雰囲気の内にインタビューは終了した。

 

後日談がある。数日後、インタビューに対する御礼も兼ねて鈴木さんにメールを送った。

 

「先日はありがとうございました。アサ芸時代の話をまとめて聞くのは初めてでしたが壮絶かつ貴重でした。やはりあの3年が今の鈴木さんにある意味、刻印を刻んでいるのでしょうか」

 

鈴木さんのやや感情的な返事。

 

「学生から社会人になって初めてついた仕事がその人の人生に影響するのは当たり前です。吉川さんだって テレビ局に入った当初経験したことが今でも影響しているはずです」

 

この一連の出来事は「鈴木さんに怒られたのか?」ということなのか? あるいはそうではないのだろうか? 教育的指導であったのか? 何かの教訓をあたえてくれたのか? 単に瞬間湯沸かし器的発言だったのか? 今となっては判然としないが、それは、最近では仙人化したかに見える鈴木敏夫さんの中にある、ある種の「激しさ」を感じた瞬間でもあった。

 

まだまだ掘ると色々出て来そうだ。鈴木敏夫氏は、好奇心の強い私にとって、今でも最も興味が尽きない人物の一人であることに間違いないのである。

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(株)ドワンゴ エグゼクティブ・プロデューサー

吉川圭三

(株)ドワンゴ エグゼクティブ・プロデューサー。1982年~2017年までの35年間、日本テレビで番組のディレクターやプロデューサー、管理職を務める。生粋の映画狂・読書狂。『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のか...

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