【中年名車図鑑】今はなき「プリンス自工」が手掛けた国産初の御料車

ライフスタイル

大貫直次郎

日本屈指の高い技術力を持ち、数々の名車を生み出してきたプリンス自動車工業。その究極形といえるモデルが、国産初の御料車として採用されたプリンス・ロイヤルだろう。しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、さまざまなドラマがあった――。今回は昭和から平成にかけて40年あまりも活躍した国産御料車第1号の話で一席。

 

 

【Vol.44 プリンス・ロイヤル】

 

高度経済成長の最中、右肩上がりの発展を遂げていた1960年代初頭の日本の自動車産業。自動車メーカーの開発・生産技術も急速に進化し、完成度を高めた純国産の新型車が相次いで市場に放たれていた。

 

 

■国産御料車の開発に向けて――


そんな状況下、ときの宮内庁はひとつのプランを画策する。「皇室用の御料車を国産車にしたい」。それまでの御料車は、メルセデス・ベンツ770やキャデラック・75リムジンなど、欧米製リムジンを使用していた。1950年代までの国産車はまだまだ信頼性が低く、まして要人を乗せるリムジンの開発などは無理難題であった。しかし、1960年代に入って日本の自動車技術は飛躍的に向上し、大型リムジンの開発も夢ではなくなってきていた。天皇は日本の象徴、よって天皇がお乗りになる御料車も日本国内で造ったものにするべきだ――。この計画に政府も同意。さっそく宮内庁は自動車工業会へ御料車の開発を諮問した。

 

 

■プリンス自動車工業の技術を結集

 

ディメンションは全長6155×全幅2100×全高1770mm。パレードなどの長時間低速走行に対処するため、冷却系統にも万全を期していた。ドアは電磁ロック式、ガラスは最新鋭の防弾タイプを採用

国産御料車の開発に対し、ひとつのメーカーが名乗りをあげる。日本の数ある自動車会社の中でも高い開発能力と生産技術を誇っていたプリンス自動車工業だ。実はプリンス自工は、以前から宮内庁との接点があった。当時の皇太子(今上天皇)に向けて同社のセダンやスカイライン、グランドグロリアなどを納入していたのだ。しかもグランドグロリアには、皇太子がご愛用するための特別な改造、通称“カスタムビルト”が施されていた。最大の特徴はホイールベースの延長で、後席の足元スペースを拡大しながらルーフを少しだけ高くしている。これは皇太子とご成婚された美智子妃が、お好きな帽子を被ったまま乗車してもルーフやリアガラスに頭がつかえずに済むという配慮から実施された改造だった。きめ細かく完成度が高いクルマ造り――宮内庁の側も、プリンス自工に対して大きな信頼を寄せていた。


プリンス自工は早速、専属チームを組織して御料車の開発に取り掛かる。さらに、メーカー系列の枠を超えた協力体制も取りつけた。基本骨格はセパレートフレームで構成し、補強メンバーを入れるなどして高い剛性と耐久性を確保。ホイールベースは3880mmにまでストレッチした。懸架機構はフロントがダブルウィッシュボーン式で、リアがリーフリジット式。ブレーキは前後ともドラムだが、ツインマスターシリンダー+ツインサーボの2重制動を採用した。エンジンは新開発の6373cc・V型8気筒OHVを搭載し、トランスミッションには信頼性の高いGMの3速ATを組み合わせる。最高速度は8名乗車で160km/hに達した。


エクステリアにも御料車ならではの入念な工夫が凝らされる。使用材料には一品ずつ電磁探傷検査のマグナフラックスを実施。フレームには亜鉛メッキを施し、バッテリーも100AHを2基搭載した。万が一のために燃料ポンプの予備も積み込まれる。ドアは電磁ロック式で、ガラスには最新鋭の防弾タイプを採用。パレードなどの長時間低速走行に対処するため、冷却系統にも万全を期す。ボディサイズは全長6155×全幅2100×全高1770mmで、車重は3200kgとなった。一方でインテリアについては、前席に3名、後席に3名、補助席に2名が乗車できる8名乗りのシートレイアウトを構築する。シート地は前席がレザー、貴賓席となる後席には最高級のウールが張られた。後席足元にはオットマンも装着する。室内の温度管理にも入念な配慮がなされ、サイドガラスは乾燥空気を封じ込めた二重式を採用。リア専用の空調も導入された。

 

 

■正式発表時にはニッサンのブランド名が――

 

エンジンは6373cc・V型8気筒OHVを搭載、トランスミッションにはGMの3速ATを組み合わせる。最高速度は8名乗車で160km/h

プリンス自工が威信をかけて製作した国産初の御料車は、1965年にまずボディスタイルと車名の「プリンス・ロイヤル」が発表される。そして翌66年10月には完成モデルのS390P-1型が披露された。ただし、完成車は当初発表の車名とは違っていた。頭にニッサンが入り、「ニッサン・プリンス・ロイヤル」と命名されていたのである。


プリンス自工は高コストの開発体制や施設の整備増強などが災いして、経営状態が年々悪化していた。このままでは1965年4月に実施予定の乗用車の輸入自由化(実際は1965年10月に実施)に対処できない……。そこで1965年5月、日産自動車がプリンス自工を吸収合併する形での契約が成立し、1966年8月から新体制に移行する。プリンス・ロイヤルは、そのわずか2カ月後に発表されたため、ニッサンのブランド名が冠せられていたのだ。この状況に対し、マスコミ界からは「日産は天皇御料車の威信を得るために経営不振のプリンスを吸収合併した」とする声もあがった。

 

 

■ニッサン・プリンス・ロイヤルの老朽化

 

前席に3名、後席に3名、補助席に2名が乗車できる8名乗りのシートレイアウト。貴賓席となる後席には最高級のウールが張られ、足元にはオットマンも装着する。サイドガラスは乾燥空気を封じ込めた二重式、リア専用の空調も導入された

ニッサン・プリンス・ロイヤルは1966年を皮切りに7台が製作され、宮内庁や外務省(国賓送迎用)に納入される。天皇の御料車としては1967年から使われ始めた。


宮内庁管理部“車馬課”の自動車班が管理し、定期的に整備を受けながら、昭和と平成の2世代をまたいで皇室に愛用され続けたニッサン・プリンス・ロイヤル。しかし、納入から37年ほどが経過した2004年の2月から3月にかけて、御料車に関する内容がマスコミ界で話題となる。宮内庁に対して、日産自動車がニッサン・プリンス・ロイヤルの行事での使用中止を要請したというのだ。入念な整備を施し続けた同車も経年劣化には勝てず、一部では補修不能な部分も出始める。また、専用部品のストックも底をつきかけ、調達も困難な状況になっていた。もし、重要な行事で故障するようなことがあったら、大変な事態になる――そんな心配をした日産は、ついに同車の使用中止を申し出たのである。


後を担うリムジンタイプの御料車は、21世紀に入ってから更新が計画されていた。順当にいけば後継車も日産製になるはずだったが、残念ながら当時の日産には御料車を製造する最適のベース車両がなかった。さらにルノーと合併して経営の再建を図っていたため、新御料車の開発に当てる予算も十分にとれない。結果的に日産は、御料車の納入を辞退する。代わって手を挙げたのが、日本最大の自動車メーカーであり、セダンタイプの御料車(センチュリー)を納入した経験を持つトヨタ自動車だった。リムジンタイプのトヨタ製御料車は、通称センチュリー・ロイヤルの名で2006年7月より宮内庁に納入される。そして、現役を退いたニッサン・プリンス・ロイヤルは、宮内庁内で保存管理されることとなったのである。
 

この記事が気に入ったらいいね!しよう

citrusの人気記事をお届けします

SNSで記事をシェア

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

大貫直次郎のプロフィール&記事一覧
ページトップ