蛭子能収の「エッセイ」論。“現役コラムニスト”のワタクシからみても素晴らしい!

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ので、今日はそれについて論じてみたい。

 

なにが「興味深い」って、

 

【Q】かねてからエッセイ集を出したいと考えているのですが、まずは、何からはじめたらいいのか。それから、どんな順番で何をしたらいいのか教えていただけませんでしょうか?

 

……という問いに対する蛭子サンの回答が、いつになく(失礼!)真剣で、なかなかに秀逸なのだ。とりあえず、前半にある

 

まずは日記を書くことからはじめたらいいかと思います。それで日記の最後に、たとえば桜の木を見て「ピンクだな」とか感想を書いたらどうでしょうか。

 

……あたりのくだりは、相変わらずの雑で適当なアドバイス(笑)なんだけれど、後半からはガラッと違ってきて、ズバリと「エッセイ執筆」の本質を突いた、じつに鋭い意見をおっしゃっている。

 

では、このへんで「エッセイとはなにか?」について、あらためて見直してみよう。

 

、「エッセイ(エッセー)」とは「自由な形式で書かれた散文。随筆。随想のこと」で、「発表する場が決まっているとは限らないもので、体験や見聞、日ごろ感じていることなどを自由な形式で書き記した文章」を指す(※一方、「コラム」は「新聞や雑誌などの特定部分に発表されることを前提に書かれており、多くの人が知っていることをテーマに分析したり、個人的な感想を述べたりした文章」を指す)。

 

つまり、この解説を忠実になぞるなら、質問者が出したい文集は、誤りなく「エッセイ集」であり、そう考えれば、さっき「雑で適当」と書いてしまった前半のアドバイスも、わりに的を射ているのかもしれない。だって、「発表する場が決まっているとは限らず、体験や見聞、日ごろ感じていることなどを自由な形式で書き記した文章」を集めた書籍なら、「桜の木がピンクだな」なんて原稿の寄せ集めでも、自費出版で形とし、世に送り出すことだって可能だからだ(ちなみに、私が毎日citrusに寄稿している原稿は「コラム」ってことになる)。

 

そして“後半”、ここからの蛭子アドバイスが圧倒的に素晴らしい!

 

「あとは、自分の考えを包み隠さず、すべてさらけ出したほうがいいですね。コレを書いたら女房に怒られるとか、いくらなんでもコレは書けないな、などと制限してしまったら、ちっともおもしろくないと思うんですよ。人が傷つくことはあまり書かないほうがいいとは思いますけど、自分が傷つくことならどんどん書く。(中略)精神的にグサッとくるかもしれないけど、そんな覚悟がないなら、エッセイなんか書かないほうがいいですよ」

 

まったくもって、そのとおりだと思う。が、私にはたしてそこまでの覚悟があるのだろうか? 正直言って、一見すべてをあけすけにしているような私の文体ではあるが、“肝心な部分”は経験から得たテクニックで、手癖的にさり気なく巧妙に覆い隠しているような気もする。「多少(筆者の正体が)謎めいているほうが読者の妄想を掻き立てる」みたいな自己弁護を盾にしながら……。

 

蛭子理論に従うと、どうやら私はエッセイスト失格のよう……。でも、私はコラムニストだからコレで大丈夫……なのだ?

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ネットニュースパトローラー

山田ゴメス

1962年大阪府生まれ B型。 ネットニュースパトローラー(※citrus限定肩書き。たまにスポーツ新聞や週刊誌も。略して「NNP」)。 関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッショ...

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