「努力至上主義のロスジェネ世代が一番ヤバい」にぐうの音も出ない件

人間関係

 

■「正月も勉強させるのが塾でしょ?」働き方“未改革”は親の方だった

 

受験生の子供を抱える年末年始。我が家は家族もそれに付き合ってストイックに徹する日々で、何を見ても聞いても口にしても、その楽しさは通常の2割を超えることのない日々です。まあそんな個人的な事情は傍(わき)に置くとして。

 

さてそんな大晦日の日、私は自分の住む、文教地区として有名な(悪名高いともいう)町の駅前に買い物に出かけ、並み居る有名予備校・学習塾がみな一様に「12月31日、1月1日は休館です」と正面に掲げ、静まり返っているのを見て、ちょっとびっくりしました。

 

「えっ、大晦日も元日も塾・予備校の自習室が開いていないって、どういうこと? やる気が足りないんじゃないの? アタシが受験生だった頃は塾業界は正月なんか返上するのが常識で……」。はっ。とっさにそう思った自分の「働き方“未改革”」ぶりに、自分でぞっとしたお正月だったわけなのです。

 

 

■子供に過当競争させる社会は、大人も長時間労働している(逆もまた真なり)

 

子供がクリスマスや大晦日やお正月返上で勉強したり自習したりするのは、「うわぁ、すごいね頑張ってるねぇ」なんて、いまだに褒められちゃうようなこと。でも塾で授業をし、自習室を開けるとなると、そこには同じくクリスマスや大晦日やお正月を返上するスタッフが必要となります。

 

子供が勉強で過当競争するための仕組みとは、大人が長時間労働する社会が前提で成立する。大人の従来の働き方が、子供の従来の学び方を可能にしていたわけです。ところが大人の社会の側に働き方改革のメスが入るということは、子供の社会にも影響や変化が起きるということ。学び方が変わり、育ち方が変わり、したがって価値観も変わるのです。

 

努力至上主義で、かつ時代のせいで貧乏クジを引いたとの被害者意識が強いと評されるロスジェネ(氷河期世代。団塊ジュニアを含む1970年〜1983年生まれとされる)にとっては、勉強とは競争に勝ち、周りを蹴落として生き残るための手段でした。勉強と競争はほぼ同義だった。

 

でも大人の長時間労働社会がすたれ、競争が最優先となる社会の仕組みがすたれると、これからは、学びは他人を蹴落として自分が頭一つ出るための競争手段ではなく、自分が所属するチームやコミュニティ全体のパフォーマンスを上げる「協走」とか「共創」の手段となるのかもしれません。競争に勝つことで親や親戚に褒められたり、ましてそれが「生きる意味」だったりするような、努力至上主義、ドM自己陶酔型の価値観はアウトです。

 

 

■「ロスジェネ世代が日本を牛耳る悪夢」にぐうの音も出ない

 

そこで思い出したのが、でした。

 

“氷河期就職組、生き残りはまさに生存バイアスで強烈な努力至上主義の選民思想の持ち主に成長してたりするから、そんなんが経営陣になる10年、20年後はホンマに地獄やで。”

 

ロスジェネ世代がいつか社会にもたらすかもしれない悪夢を指摘し、話題となったツイート。確かに就職難で自己の容赦ない全否定を浴び続けてきたロスジェネには、ヒリヒリとしたサバイバル意識が焼きつき、染みついています。そして同世代間で共有されているのは、どこか悲劇のヒーロー的な「自意識」。

 

競争に負けて「おりた」層は、ひたすらそのルサンチマンや被害者意識をお金のかからないネットにぶつけ、自分たちの不運を社会のせいにして嘆き妬み嫉(そね)む。一方で競争に生き残り成功した層はビジネス界で、メディアで、同世代の起業家やアスリートやアーティストら成功者たちの発言・金言を愛でて「恵まれない時代を努力で勝ち残ってきた頑張り屋さんのオレら(ウチら)」として価値観を同じくする仲間同士で褒めあい、認めあう。

 

そんな風潮、論調が一部にあることは否めません。それが他の世代、特にゆとりやさとりなど発想の自由度の高い若い世代から見たときに「選民思想」「キモチ悪い」と評されてしまうのも理解できる気がします。

 

 

■ロスジェネエリートには嘘がある

 

そんなロスジェネの、特に競争からまだおりておらずエリートと自負する人々には、嘘があります。

 

それは、「働き方改革」。本音では、「それは働きたくないヤツのための施策であって、オレ(アタシ)のためじゃない」「ゴリゴリ働きたい・働けるオレらのやる気を挫(くじ)いて欲しくないよ」と思っています。「ゆるーく働くとかってのは『ゆるく働いた結果、出世しないとかあんまり年収高くないとか、そういうダウンサイドに甘んじる層』の話でさ、オレらのことじゃないから」。

 

選民思想と呼ばれてしまうのは、もっともでしょう。本当のところ、身体に叩き込まれた競争意識や努力至上主義を手放すことなど、怖くてできないロスジェネ。だって、その競争と努力のワンセットのみが唯一信じてこれた武器なのですから。でもどんなにエリートを自負しようとも、従来の価値観や社会観に囚われている自分自身を変革できていない時点で、やはり「やがてアウトとなる人材」。だからこそあのツイートの、「そんなんが経営陣になる10年、20年後はホンマに地獄やで」には、説得力があったのです。

 

「努力して生き残ってるあなたは素敵〜ン☆」と甘言を弄する歪んだ鏡を見てうっとりするばかりで、自分が客観的に見えていない。このままでは一番ヤバいのも、やがて老いて「はい御苦労さん」と労働力を搾り取られて捨てられ、社会に共感されずに疎まれる「新・老害世代」もロスジェネです。

 

 

■ドMの鑑

 

ロスジェネの何がヤバくてキモチ悪いのか。それは、生きることすなわちサバイバルとして悲観的な軸に固定し自己陶酔してしまっていることと、その揺り戻しで、サバイバルの結果甘受できる享楽に対してウブ丸出しではしゃいでしまう姿にあるのではないでしょうか。

 

「甘やかされたカラダは醜い」と毎日走ったり筋トレしたり、「自分への投資」と趣味や習い事や外見の向上に励んだり、人脈も異業種交流会やらオフ会やらで華やかに広げたり、その様子をSNSでアピールしたり……。そんな風にしていつも懸命に努力を怠らない(若干暑苦しめの)ロスジェネのビジネスパーソンに、なぜそんなに努力し続けるのかと聞いたことがあります。彼の答えは「自分を痛めつけたり忙しくしたりしていると、ああ俺、自分にいいことしてる、前進してる、って気になれるんですよね」。これぞまさにドMの鑑のような発言でした。

 

この言葉に、ごく自然に「ですよねー、わかる」と請け合ってしまった私。ええ私こそ確かに、「正月返上で勉強するのが受験生の美学」とか「努力は裏切らない」とか説教臭いことをぬかしがちで、何かしら気苦労を抱えていないと逆に不安でいたたまれない、貧乏性でクソ努力至上主義でカビの生えたザ・ロスジェネなんですよ……。

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コラムニスト

河崎 環

河崎環(かわさきたまき)/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭学園中高から転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Web...

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