小学校の「高級ブランド標準服」騒動でみえた、“服力”偏差値の低い大人の滑稽さ

ライフスタイル

 

「絶対東大合格!」とか「目指せ甲子園」とか、それぞれの家で教育方針は違ってアタリマエで、イヤなら家族会議で方向修正するしかない。よその家の教育方針に納得がいかないからと怒鳴り込んだり、「あそこの家はどうかしている」と声高にいうのはアタマがおかしいとしか言いようがないですし。ちなみに私立はもちろん公立の教育機関も、各校特色ある教育方針を立てているもので、「うちはコミュニティスクールです」とか「ICTに力入れてます」とか、地域と環境とのバランスを図りながら、それぞれの旗を振っているもの。著名人を講師に招いたり、全国大会を目指したり、高級ブランドの標準服を導入したりすることで子どもたちのモチベーションを高めたり、そこから伝わる「教育」は何一つ無駄になるものではないはずだ。さらに言えば、よその養育方針に首を突っ込むことが無粋で非礼なことであることを子どもに教えるのも「教育」だと思う。

 

「食育」については、季節の旬や地産地消など、我が国の食文化について語り継ぐのは勿論、箸の持ち方、食事のマナー、お米という字は八十八と書くんだよ、お百姓さんが八十八の手間を掛けてねとか、各家庭で教えていくことも大切。食事時に歌ったり、食べ物を口に入れたまま話したり、途中で立ち歩いたりしちゃいけませんと教えるのも大事でしょ。隣の家の箸の持ち方に口を出す人はいないです。その点については「食育」は、そこそこ行き届いているのだなと。

 

しかし、お隣の家の服装について文句を言う人がこれほど多いとは思わなかった。国会議員もよほど暇なのか。どんな服を着るのか、その服にどんな意味があるのか、といった教育は本来食育同様、各家庭で教えるべきこと。TPOをわきまえた服装術と同じように、他人の服装に口を出すことの無粋を教えなくてはならない。子供の制服やら標準服に、あーだこーだいう権利があるのは着ている本人だけであって、部外の大人たちではないはずだ。

 

とかく日本人は「服育」に関して、あまりにぞんざいで、TPOをわきまえた服装ができる大人すら怪しい。これでは、こどもたちに正しい服装を教えることなんてできるわけもない。制服の正しい着方、場をわきまえ、相手に礼を尽くす正しい服装についての教義について、あやしい大人は少なくない。クール・ビズだといわれて、上からのガイドラインに沿った服装しかできない大人たちが、ブランド標準服に文句を言う、このまったく筋の通らない滑稽さ。

 

「食育」とは食を通して文化と規範を知ること、「服育」もまた然り。隣の服装に意見したり、高級ブランド批判を繰り広げるのは、お門違いも甚だしい。「教育」で高めるべきは「学力」だが、「服育」で高まるのは「服力」か。服力偏差値の低い大人たちは、よその学校の制服を指さして、こそこそ言うらしいが、そういう大人たちはいつも道行く人の服装について、こそこそ陰口を交わしているのだろうか。

 

服力の低い層をあぶり出す、いいきっかけになったように思う。学力補助のための特別学級があるように、生活力の低い人のためのセーフティネットがあるように、服力の低い大人のための福祉ならぬ服祉が必要だ。

この記事が気に入ったらいいね!しよう

citrusの人気記事をお届けします

SNSで記事をシェア

ファッションエディター・ライター

池田保行

神奈川県横浜市出身。ファッションエディター・ライター。大学卒業後、出版社勤務を経てフリー。 2004年よりファッション エディター & ライター ユニット ZEROYON 04(ゼロヨン)を主催。 毎年1月と6月にイタリ...

池田保行のプロフィール&記事一覧
ページトップ