【中年名車図鑑|7代目 マツダ・ファミリア】世が世なら、ファミリアもランエボ、インプのような存在になっていた⁉

車・交通

大貫直次郎

マツダは1989年2月に7代目となるファミリア(BG型系)を市場に放つ。開発当初から世界ラリー選手権(WRC)への参戦を意図し、1989年8月にはそのベースモデルとなるフルタイム4WD車の「GT-X」をリリース。そして1992年1月には大型ターボを組み込んで最高出力を210psとしたホモロゲートモデルを発売した――。今回は “史上最強のファミリア”と称されるファミリア「GT-R」をメインに一席。

 

 

【Vol.64 7代目 マツダ・ファミリア】


元号が昭和から平成に改められた翌月の1989年2月、マツダは2台のシンボリックな新型車を発表した。1台は米国シカゴ・オートショーでワールドプレミアを飾ったMX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)で、後に大ヒット作に昇華してライトウェイトスポーツの世界的なブームを創出する。そしてもう1台が、“ついに、楽しいクルマです”のキャッチコピーを冠して7代目に移行した中核モデルの新型ファミリアだ。


BGの型式をつけた7代目ファミリアは、3ドアハッチバックと4ドアセダンはそのままに、5ドアハッチバックを別展開の「ファミリア・アスティナ」としてラインアップする(発売は同年4月)。低くて流麗なクーペ風のフォルムにリトラクタブルライトを組み込むスポーティなフロントマスクを採用したアスティナは、それまで実用車然としていた5ドアハッチバック車とは一線を画していた。アスティナのコンセプトをとくに高く評価したのは、ハッチバック人気が高いヨーロッパだった。欧州市場には「323F」として輸出され、販売台数を大きく伸ばす。一方、安定感のある台形フォルムに力強いCピラーとブリスター形フェンダーを採用した3ドアハッチバックと4ドアセダンもその質感の高さやスポーティなアレンジなどが好評を博し、とくに4ドアセダンを「プロテジェ」のネーミングで販売したアメリカ市場では、BP型系1.8Lエンジンの高性能さと各部の信頼性の高さも相まって、ユーザーから高評価を獲得。やがて同市場での基幹車種に成長した。


翻って日本市場では、従来型に設定されていたファミリアの4WDスポーツモデル、「GT-X」のモデルチェンジが待ち望まれていた。その期待は、1989年8月に具現化される。3ドアハッチバックボディに180ps/24.2kg・mのパワー&トルクを発生するインタークーラーターボ付きBP型1839cc直列4気筒DOHC16Vエンジン、そしてスポーツ走行に最適な前後駆動力配分43:57というフルタイム4WDシステムを採用した、新しいGT-Xが登場したのだ。新型GT-Xは早速、マツダのラリーチームに持ち込まれ、テストを重ねながらWRC(世界ラリー選手権)参戦に向けたグループA仕様に仕立てられる。ファミリアの欧州名323のGT-Xが初陣を飾ったのは、1990年シーズンの1000湖ラリー。ここでティモ・サロネン選手が総合6位に入るという健闘を果たした。


その後も323GT-XはWRCで好成績をあげるものの、グループAでの総合優勝はなかなか実現できなかった。2Lターボエンジンを積むライバル車に対して、どうしてもエンジン出力の面で劣っていたからである。ただし、シャシー性能は非常に高く、改造範囲が小さいグループNでは1991年シーズンにドライバーズチャンピオン(グレゴワール・ド・メビウス選手)を輩出するほどの実力を有していた。グループAを制覇するためには、もっとエンジンパワーが必要だ――。マツダの開発陣は、知恵を絞ってBPエンジンの改良に勤しむこととなった。ちなみにエンジンの排気量アップで対処しなかったのは、当時のマツダ・スタッフによると「せっかくの高いシャシー性能が活かしきれない可能性があった」からだという。ラリー仕様GT-Xのハンドリング性能は、ドライバーから極めて評判が高かった。その特性を崩すことは、マシンの戦闘力アップには決してつながらない、それに耐久性を損なう恐れも大きい――そんな判断が、既存のBPエンジンの改良という方策を選ばせたのである。

 

 

■WRC制覇を目指した究極のファミリアの開発

 

ファミリアGT-Rは92年に登場。3連バルジを設けたエンジンフード、大型フォグを埋め込んだ専用バンパーが特徴的だ


BPエンジンの改良は、「実質的な排気量アップに相当する過給システムの進化」という手法で行われる。ターボチャージャーはタービン径を従来のΦ52.5mmからΦ62mmへ、コンプレッサー径をΦ52.5mmからΦ65mmへと大型化。同時に、メタル製タービンや大径デューティバルブを備えたウェストゲートなどを組み込んで耐久性を引き上げる。結果として、最大熱効率時の空気流量は従来比で約1.8倍に達した。一方、組み合わせるインタークーラーは横置きからフロント前部への縦置きに変更。そのうえでコアサイズを約70%拡大する。また、インナーフィン配列はオフセットとし、冷却効率を高めた。これに合わせて、フロントバンバーは大型化したうえでエアインテーク部を拡大。同時に、フロントフードにも3連バルジを設けて、発熱量の多い実戦での耐ノッキング対策を担うエアアウトレットとしての機能を持たせた。出力アップに即して、エンジン本体にも改良を加える。ピストンにはクーリングチャンネル付きアルミハイキャストタイプを採用。また、トップリングの溝にニッケルセルメット発泡体を溶融結合させ、耐摩耗性の向上を図った。コネクティングロッドについては、従来のグループAマシンにも導入するケルメットメタルを用いる。耐圧性が極めて高い同素材は、過酷な走行条件でも抜群の耐久性を発揮した。一方、排気バルブはステム内を中空で仕立て、内部に金属ソジュームを封入した専用品を装備する。ほかにも、排気抵抗の低減を図ったフェライト系鋳鋼エグゾーストマニホールドや放熱量を高めたオイルフィルター一体型の水冷式オイルクーラーなどを組み込んだ強化版BPユニットは、市販モデルで210ps/25.5kg・mのパワー&トルクを発生。WRC参戦時でのグループAチューニングでは300psオーバーを絞り出した。

 

ファミリアGT-Rはホモロゲーション取得のための少数生産モデル。ラックススウェード&ケミカルレザー表地GTタイプシート、MOMO製本革巻きステアリングなどのスポーツアイテムをおごる


開発陣はエンジンの高出力化に合わせて、シャシー性能にも磨きをかける。フロントサスはロアのA型アームのフロント側取り付け点をホイールセンターの真横に置き、有効な高剛性を確保。リアサスは台形に配置した2本のラテラルリンクとトレーリングリンクで構成した。また、リアに入る駆動力を積極的に活用し、後輪のトーとコントロールするSSサスペンションを導入する。さらに、前後サスともにダンパーとコイルスプリング、各ジョイントのブッシュを固め、スタビライザー径もアップさせた。一方、操舵機構に関してはラック&ピニオン式のステアリングギア比を15.4(ロック・トゥ・ロック2.5)へと速め、剛性を引き上げたサスペンションとの相乗効果でハンドリングへの応答性と限界でのコントロール性を高める。制動性能の向上にも抜かりはない。ブレーキはローターの有効半径および厚みを拡大したうえで、耐フェード性に優れるノンアスベストのケブラー/アラミド繊維系のパッドを採用した大径4輪ディスクブレーキ(フロントはベンチレーテッドタイプ)を装備。ブレーキの大径化に伴い、ホイールサイズは15インチ(15×5.5JJ)にアップし、タイヤは195/50R15 81Vサイズを組み合わせた。駆動方式は前後不均等トルク配分43:57のフルタイム4WDで、センターデファレンシャルにはバリアブルトルクスプリットを自動的に行う(43:57~60:40)ビスカスLSDを組み込む。また、リアのデファンレシャルにもビスカスLSDを配して有効な駆動力を確保した。

 

 

■WRCグループAでは実力を示せなかったものの――

 

GT-Rをベースにしたコンペティションモデル「GT-Ae」も限定生産。ダートトライアルなどの競技会へのエントリーユーザーをターゲットにしていた

GT-Xの進化版は、「GT-R」のグレード名を冠して1992年1月に登場する。専用装備としてバンパー埋め込み式大径フォグランプや前後スカート付き大型バンパー、フェンダーモールアーチ、ラックススウェード&ケミカルレザー表地GTタイプシート、MOMO製本革巻きステアリングなどのスポーツアイテムで武装したGT-Rは、ホモロゲーション取得のための少数生産モデルとして販売された。また、ダートトライアルなどの競技会へのエントリーユーザーに向けたGT-Rベースのコンペティションモデル「GT-Ae」も限定生産でリリースした。


マツダの技術の推移を結集して開発したファミリアGT-Rは、早々にラリーチームがグループA仕様に仕立て、入念なテストを重ねていく。そして、1992年は熟成および改良のために費やし、1993年シーズンから本格的に勝負をかける計画を立てた。しかし、その計画は外的要因によって頓挫する。日本における急激な景気の悪化、いわゆるバブル景気の崩壊だ。販売網と車種の増強のために過大な投資を行っていたマツダは、この影響をもろに被り、決算は膨大な赤字に転落していく。対応策として首脳陣は、販売網の縮小やコスト削減などを相次いで実施。その一環としてWRCでのワークス活動も中止され、GT-Rでの本格参戦はお蔵入りとなってしまった。WRCの舞台でその速さを披露しないまま車歴を終えるかに見えたGT-R。しかし、欧州のプライベートチームがその悲運な状況から同車を救った。グループN仕様の323GT-Rが1993年シーズンのWRCで大活躍し、ポルトガルとアクロポリス、カタルニアでクラス優勝を成し遂げたアレックス・ファッシーナ選手がグループNのドライバーズチャンピオンに輝いたのである。

 

本格的にWRCにワークス参戦するプランだったが、バブル景気崩壊により計画は頓挫する


グループNマシンによって、ポテンシャルの高さの一端を披露することができたファミリアGT-R。それだけに、マツダのワークス参戦が続いてグループAモデルが熟成と進化を重ねていたら、そして三菱ランサーやスバル・インプレッサ、ランチア・インテグラーレなどと同様にエボリューションモデルが開発されていたら――。きっとファミリアおよび323GT-Rは、WRCの舞台で輝く足跡を残し、市販版エボリューションモデルも伝説的な人気を獲得していたに違いない。

 

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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