【中年名車図鑑】史上最速のパルサー「アイ・アール」はなぜ誕生したのか?

車・交通

大貫直次郎

ブルーバードやフェアレディZ、バイオレットなどを送り込み、世界のラリーの舞台で大活躍したかつての日産自動車。同社は“ラリーの日産”の復権を賭け、N14型系の4代目パルサーをベースにしたWRC(世界ラリー選手権)参戦モデルを企画する――。今回はWRC制覇を目指して1990年に市販デビューを果たした“史上最速のパルサー”こと「GTI-R」の話題で一席。

 

 

【Vol.66 日産パルサーGTI-R】


1960~70年代にかけてはブルーバードやフェアレディ240Z、バイオレット160Jなどが、1980年代にはバイオレットGTやシルビア・ベースの240RSおよび200SXなどが大活躍した日産自動車のラリー活動。かつては“ラリーの日産”と謳われるほどの強さを見せていた同社だったが、WRCがグループAの時代に入ってからは目立った成績を残せない状況に陥っていた。市販車の出来がダイレクトに反映され、しかも会社のイメージ向上や販売の伸びにつながる国際ラリーの舞台で、ぜひ復権を果たしたい――。そんな決意を固めた日産のスタッフおよびモータースポーツ部隊は、WRCグループAに本格参戦するラリーマシンの開発に鋭意取り組み始める。社内の啓蒙策として推進されていた「90年代には技術の世界一を目指す」という“901運動”も、この機運を大いに盛り上げた。


ベース車を選択する際、開発陣はグループAの特性を詳細に検討し、「コンパクトで機動性に優れる」という理由から次期型パルサー(4代目のN14型系)の3ドアハッチバックをチョイスする。ここに2Lクラスの高性能エンジンを積み込み、確実な駆動力を発揮する4輪駆動システムと組み合わせれば、最高のラリーマシンに仕上がると判断したのだ。

 

“史上最速のパルサー”と称されたGTI-R。WRC仕様では300ps以上の出力を想定していた


搭載エンジンに関しては、アルミ製シリンダーブロックや4バルブDOHCのヘッド機構、スイングアーム式のバルブロッカー、ローラーチェーン駆動のカムシャフトなどを採用するボア86.0×ストローク86.0mm/排気量1998ccのSR20DEユニットをピックアップする。ここに大型のギャレット製ターボチャージャーと大容量インタークーラー(コアサイズW350×H295×T60mm)、さらに4連スロットルチャンバーや大口径インテークマニホールド、ナトリウム封入中空エグゾーストバルブ、クーリングチャンネル付きピストンなどを組み込み、専用チューニングのSR20DETユニット(1998cc直列4気筒DOHC16Vインタークーラーターボ)を完成させた。


パワー&トルクはストック状態で230ps/6400rpm、29.0kg・m/4800rpmを発生。WRC仕様では300ps以上の出力を想定していた。組み合わせるトランスミッションは専用セッティングの5速MTで、シンクロ容量のアップやクラッチの強化などを実施する。ギア比は第1速3.285/第2速1.850/第3速1.272/第4速0.954/第5速0.740/後退3.266に設定。さらに、ラリー競技用に同3.067/2.095/1.653/1.272/0.911/3.153のクロスレシオ仕様も用意する。またWRC用には、6速の専用クロスレシオミッションを新規に開発した。駆動メカについては、ビスカスカップリング付きセンターデフ式フルタイム4WDであるアテーサ(ATTESA。Advanced Total Traction Engineering System for All)を、独自のチューニングを施して採用する。リア側にはビスカスLSDも装備した。前マクファーソンストラット/後パラレルリンクストラットのサスペンションも専用セッティング。ショックアブソーバーの減衰力はフロントが伸び側150/縮み側50kg、リアが同80/40kgに設定し、コイルスプリングのばね定数は前2.2/後2.4kg/mmに仕立てた。前ベンチレーテッドディスク/後ディスクのブレーキ機構も強化され、ローター径の拡大やキャリパー剛性のアップ、タンデム倍力装置および冷却エアダクトの装着などを施す。もちろん、ボディ本体やパーツ取付部も入念に補強された。


開発陣は内外装についても様々な工夫を凝らす。エクステリアでとくに重視したのはエンジンの冷却性を高めるための機構で、バンパー部やグリルのほか、ボンネットにもエアインテーク&ルーバーを設ける。また、ボディ各部に専用デザインのエアロパーツを装着した。インテリアに関しては操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシート、3連スポーツメーター(油圧計/油温計/ブースト計)などを奢る。エアコンやオーディオといった快適アイテムも装着できたが、ラリーのベース仕様ではこれらが省略された。

 

 

■「GTI-R」のグレード名を冠して市場デビュー

 

操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシート、3連スポーツメーター(油圧計/油温計/ブースト計)などを装備


日産の新しいWRCウェポンは、N14型系パルサーのデビューと同時期の1990年8月に発表される。型式はRNN14で、グレード名は「GTI-R」。車種展開は標準仕様のGTI-Rとラリーのベース仕様という2タイプで構成した。


市場に放たれたパルサーGTI-Rは、日産の久々の本格ラリーマシンであることに加え、WRC出場前から多数のCMを打つなどの広告戦略を取ったこともあり、クルマ好きから大注目を浴びる。また、ハニカムグリルのプリントに“PULSAR GTI-R”のロゴを刻んだ表紙で始まる全12ページのカタログは、メカのイラストや写真、それに付随する解説文でぎっしりと埋められ、マニア心を大いに刺激した。


市場での大きな話題を集め、販売の出足も好調に推移したパルサーGTI-R。しかし、肝心のWRCグループAでは大苦戦を強いられる。パルサーGTI-R(現地名サニーGTI-R)によるWRCグループAでのワークス活動は、1991年開催のサファリ・ラリーからスタート。このレースでは総合5位と7位を獲得し、上々の滑り出しとなる。しかしその後は、アクロポリス・ラリーで総合9位、1000湖ラリーで総合9位と11位、RACラリーで全車リタイアと、満足する結果は得られなかった。翌92年シーズンになると、モンテカルロ・ラリーで総合7位と9位に入り、スウェディッシュ・ラリーではついに総合3位を獲得する。実はこの順位が、パルサーGTI-Rの最高位となった。その後はポルトガル・ラリーで総合6位、アクロポリス・ラリーで総合9位(ワークス不参加。プライベーターの結果)、ニュージーランド・ラリーで総合6位(同)、アルゼンチン・ラリーで総合9位(同)、アイボリーコースト・ラリーで総合4位(同)に入る。最終戦のRACラリーではワークス参戦を果たしたものの、総合8位に入るのがやっと。小さすぎたボディとホイールベース(標準仕様で全長3975×全幅1690×全高1400mm/ホイールベース2430mm)によるピーキーな運動特性、ホイールストロークとトラクションの不足、さらにエンジン冷却性能の悪さなどが、満足のいく成績が残せない要因だった。

 

 

■WRCグループAでは活躍できなかったものの――

 

ラリーのベース仕様も用意された。エアコンやオーディオといった快適アイテムが省略されている


苦戦を強いられるWRCグループAでのパルサーGTI-R。その一方で、ベースとなる市販モデルでは細かな改良が続けられた。1991年10月にはトランスミッションのシンクロ容量のアップやクラッチペダルの支持強化板の追加などを実施。さらに1992年8月には、内外装デザインの一部変更やインテークマニホールドサポートの支持強化、オルタネーターステーの追加、リザーブタンクの改良などを敢行する。また、当初は日産栃木工場が製造を担っていたが、1991年5月より当時提携関係にあった富士重工業に移管された。様々なリファインが行われたGTI-Rだが、WRCグループAの舞台では好転が見られず、結果的に1992年シーズンを持ってワークス活動は中止される。この背景には、バブル景気崩壊による日産の急激な業績悪化もあった。


WRCのグループAマシンとしては失敗作に終わったパルサーGTI-R。しかし、グループNや国内ラリーのカテゴリーでは多くのプライベーターに高く支持され、成績面でもWRCグループAをはるかに凌ぐ好結果を残す。また市場では、専用パーツを満載した至極のメカニズムがクルマ好きの心を惹きつけ、“アイ・アール(I・R)”の愛称で親しまれながら4代目のモデル末期まで堅実な販売を維持し続けたのである。
 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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