「日大アメフト問題」に酷似…2008年シンガポールGPで起きたF1史上最大のスキャンダルとは?

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似ている。あまりにも構図が似ている。あの大学スポーツに端を発したスキャンダルと……。


2008年F1第15戦シンガポールGPは、長いF1の歴史に汚点を残すレースとなった。史上初のナイトレースで繰り広げられた劇的なドラマが、実は仕組まれたものだったのだから。チームのボスから指示を受けたドライバーがわざと壁にぶつかって派手にクラッシュし、セーフティカーが出動するように仕向けたのだ。それも、下位グリッドに沈んだチームメイトがトップになるようなタイミングで。


わざとクラッシュしてマシンを壊したドライバーはネルソン・ピケJr.(F1参戦時の登録名はピケ)。彼に指示を出したのは、ルノーF1チームのマネージングディレクター(実質的なボス)を務めていたフラビオ・ブリアトーレである。策略のおかげで優勝を手にしたのは、フェルナンド・アロンソだった。


ブリアトーレはチームのボスであるだけでなく、ピケJr.のマネージャーを務めていた。ワールドチャンピオンに2回輝いた経験を持つアロンソは表彰台こそなかったものの、シーズン後半になって4位を3回獲得し、徐々に調子を上げていた。一方、この年がF1デビューイヤーだったピケJr.はリタイヤ続きで、獲得ポイントではアロンソに大きな差を付けられていた。


シーズンが後半に差し掛かった頃、ブリアトーレは満足な成績を残すことができていないピケJr.に対し、怒鳴り散らしながらプレッシャーを与えていた。「オマエ、何の役にも立っていないじゃないか」と。少しはチームの役に立つことをしたらどうなんだと。結果を出さないと、翌年の契約はないと脅された。

 

 

■「だが、オマエにはできることがある

 

チームメイトのアロンソのため、ピケJr.は故意にクラッシュするよう指示された…

ピケJr.がチームの役に立てるタイミングがやってきた。シンガポールGPである。予選はアロンソが15番手、ピケJr.は16番手だった。追い越しのしにくい公道コースであり、上位入賞の可能性は考えにくいポジションだった(当時は8位までが入賞)。

 


「これはもう、どうにもならない状況だ。わかるな?」


気の短いブリアトーレは言った。ピケJr.は体を小さくして聞いているしかなかった。

 


「何か特別なことが起きない限り、オレたちにチャンスは巡ってこない。だが、オマエにはできることがある」


ピケJr.に選択肢はなかった。チームのためであり、自分の将来のためでもあった。ブリアトーレと、エンジニアリングディレクターのパット・シモンズ(監督とコーチのようなものだ)は次のようなシナリオを描いた。


レースは61周だから、2回ピットストップしてタイヤ交換するとすれば、20周前後と40周前後にピットストップを行うのがセオリーだ。そこで、アロンソを12周目にピットに呼び寄せることにした。他のクルマより早いタイミングでタイヤ交換を済ませてしまうのが作戦上のポイントである。


アロンソが無事にタイヤ交換を終えたところで、ピケJr.は故意にマシンを壁にぶつけ、コースをふさぐ。市街地コースのシンガポールはコースの外側にマシンを退避させておく場所がほとんどなく、ひとたびマシンがコース上に止まったら、セーフティカーを出動させてコースの安全を確保する以外に選択肢がなくなる。ブリアトーレとシモンズは、どこでクラッシュさせれば走行の邪魔になるか、綿密に検討したうえで最適な場所を選んだ。


アロンソは12周目にピットに入ってタイヤ交換を行った。ピケJr.は事前に打ち合わせたとおり、14周目のターン17であたかもミスを犯したような振りをして、ルノーR28をコンクリートの壁にぶつけた。見事な仕事ぶりだった証拠に、即座にセーフティカーが出動した。このタイミングを利用して各車がいっせいにピットに向かい、タイヤ交換を行った。一連のタイヤ交換劇が落ち着くと、アロンソは首位に浮上。チームにシーズン初優勝をプレゼントした。

 

シンガポールGPはコース外側にマシンを退避させておく場所がほとんどない。マシンがコース上に止まったら、セーフティカーを出動せざるを得ない

 

■そして、F1の世界には二度と戻らなかった…


ブリアトーレとシモンズにしてみれば、ピケJr.はいい仕事をしたことになる。シンガポールでの功績が評価され(?)、2009年もチームに残留することができた。だが、相変わらず成績は降るわず、第10戦ハンガリーGP後に解雇されてしまう。これに腹を立てたピケJr.は、「わざとクラッシュした」と暴露したのだ。事実なら、ま、事実だったのだが、明らかにF1に対する冒とくである。


ブリアトーレは当初から関与を否定。シモンズは「あれはピケJr.のアイデアだった」と逃げた。ルールを統括するFIA(国際自動車連盟)は調査の末、首謀者のブリアトーレと、共謀者のシモンズをモータースポーツ界から永久追放する処分を下した(後に処分を軽減)。ルノーには2年間の執行猶予付きで参戦資格剥奪の処分が下った。ピケJr.は調査に協力したことによって責任追及を免れたが、二度とF1に戻ることはなかった。


これが世に言う「クラッシュゲート」である。権力を握る者が立場の弱い者に対して「ノー」と言えない状況を作って道義に反する難題を押しつけ、自己の狭い視野に入った利益に向かって突き進み、立場が悪くなると弱い者を捨てて保身に走るのは、洋の東西を問わないのだろうか。
 

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モータリングライター&エディター

世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『トヨタ ル・マン...

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