『人殺しの息子と呼ばれて』――死刑囚の父親と無期懲役の母親のもとに生まれた子どもが歩んだ壮絶な人生

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『人殺しの息子と呼ばれて』(張江泰之/KADOKAWA)

子どもは親を選べない――。この言葉の重みは、“彼”が一番理解しているかもしれない。


2002年、北九州連続監禁殺人事件がメディアで報じられた。この事件の主犯が、松永太死刑囚と緒方純子受刑者だ。その凄惨さは日本の犯罪史上でも類を見ないほどで、報道規制がかけられた。ネット上で調べるといくらでも出てくるだろうが、目にしない方が賢明だろう。ぞっと悪寒が走るような事件の裏で、ある子どもたちが警察に保護されていた。松永と緒方の、兄と弟の息子2人だ。


(張江泰之/KADOKAWA)は、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』のチーフプロデューサー・張江泰之さんが、この番組の収録で兄に行ったインタビュー内容をありのままに記した1冊。人殺しの親から生まれた“彼”が体験した壮絶な人生と、25歳の青年になった今だからこそ抱く思いに、読んだあとは言葉が出なかった。

 


■実の父親から“通電”という拷問を受けていた


本書には、張江さんと彼の出会いやこの本が誕生したきっかけについても記されている。しかし本を読み進めると、そんなことがどうでもよくなるくらい、壮絶な人生を歩んだ彼の言葉が次々と胸に刺さった。この記事ではそこだけを取り上げたい。


インタビューで明らかになったのは、彼の異常な子ども時代だった。まず、彼は戸籍がなかった。松永が緒方に出生届を提出させなかったのだ。だから小学校にも通っていなかった。識字はひらがなとカタカナだけ。漫画さえも満足に読めない状態だ。外出もほぼなし。閉ざされた空間で人間ではない扱いを受けていた。しかし生まれた頃からそれが当たり前だった彼は疑問を抱くことなく生きていた。


なにより彼は松永から“通電”を受けていた。この事件では被害者たちと緒方の全員がこの拷問に苦しんでいた。松永の気に入らないことをすれば、愛妻だろうが愛息だろうが関係ない。「鬼畜の所業」。事件の裁判で検察が述べたこの言葉が頭をよぎる。


彼が語る幼少期の話は、読むだけで辛い。この他にも挙げればキリがないほど異常な環境で育った彼は、世間一般の常識を身に着けていなかった。そしてそのことに気づいていなかった。松永と緒方が警察に逮捕されて、生き残った者たちが保護されてから、彼は本当の苦しみを味わうことになる。一般社会で生きるには、その生い立ちが大きなハンデになった。

 


■「おはよう」の意味が分からない


9歳で保護された彼は、児童養護施設に預けられた。本来は小学4年生なのだが、学力の問題から1つ下の3年生として通うことになった。


まず直面したのは言葉が分からないこと。友達に「おはよう」と言われても、その意味が分からない。国語の読み書きどころか、音読さえも苦手だった。次に、友達に遊びに誘われても面白さを見出せなかった。ドッジボールのルールを理解しても楽しむことができない。そのうち学校生活と合わなくなって、よく授業を抜け出した。


本書から察するに、保護される9歳まで基本的な対人関係を経験していなかった彼は、小学校という社会集団になじめなかったようだ。あまりに辛く目を伏せたくなる文章の連続に、読んでいるこちら側が苦しくなる。


一方で印象的だったのは、常に淡々とインタビューに答え、当時の気持ちや考えを冷静にはっきり述べる、現在の彼の姿だった。これは25歳の青年になった彼が、過去の“消えない出来事”と苦しみながらも向き合って結論を出し、受け入れて自分のものにしたということだ。こんなこと、普通の人生を生きる大人だってなかなかできない。

 


■なんで俺だけこんな思いをして生きていかないけんのかな


中学校に上がった彼は人間不信になり、荒れてしまった。だから裏表のない素直な動物に心引かれ、獣医師になりたいと思ったそうだ。インタビューでこう答えている。

 

動物は、お腹が減ったらご飯を欲しいとねだり、あまえたかったらあまえてくる。(中略)純粋な生き物やなあって思いますね。絶対的に自分より弱い立場の生き物なんで、恐怖心や不安感を抱くこともなく、何かをしてあげたいという気持ちになるんですよ。で、人間と関わると、また失望するんです。嘘ついて、ごまかして、こんなに醜い生き物がおるんかな。人間って嫌やなって。でも、自分もその人間なんですよね。


この言葉に彼はどんな思いを、どれだけこめたのだろう。心中察するに余りある。彼は生い立ちゆえに偏見にさらされ、人間関係に苦労し葛藤に苛み、子どもの頃からこんなことを考えていたのだ。


その後、定時制の高校に入学し、そして高2になる前に退学してしまう。同時に里親の家も飛び出してしまった。身寄りのない彼は、仕事を転々とした。土建業に就いたとき、社長に家がないことを相談すると、ガラスが割れてライフラインの通っていない汚いアパートに住まわされたそうだ。

 

ホームレスと変わらんなって思ったら、涙が出てきました。他の奴らは当たり前に家があって、ご飯を食って、当たり前に遊んでいるのに、なんで俺だけこんな思いをして生きていかないけんのかなって。結局、“親がおらんからや”ってなるんですよね、俺の中では。


当時未成年だった彼は、いわばグレーゾーンな存在。だから関わる人々もグレーゾーンが多かった。不遇な扱いを受け、またも苦労した。子どもは親を選べない。本書を読むと、この言葉の途方もない重みを知る。

 


■トラウマと闘いながら社会に溶け込むべく生きている


現在、25歳になった彼は一般企業に勤め、そして結婚を果たした。お相手は小学校の同級生。彼と同じように家庭環境に問題を抱えていた。そのことを知った彼は「どうにかしてあげたい」という気持ちから一緒に住むようになり、そして籍を入れたそうだ。


正社員として働き、一般の恋愛とは違う形で結婚もしている。立派な社会人だ。しかし未だ暗い影が残る。幼少期の壮絶な経験のせいで、光を浴びることが苦手だそうだ。夜は電気を点けずに真っ暗な部屋で過ごす。通電の記憶のせいで雷も苦手だ。風呂に沈められた経験もあるので、味のないミネラルウォーターを飲むと気分が悪くなる。


松永が植えつけたトラウマと闘いながら、彼は社会に溶け込むべく生きている。トラウマは「いつかよくなればいい」と話す姿に、筆舌しがたい感情がわき上がる。


本書の最後の二章では、今の彼が抱く胸中に触れている。この部分を読むと、きっと多くの読者が自分自身の生き方を考えさせられるだろう。壮絶な人生を経験した彼は、嫌なことから逃げて非行に走ることなく、苦しみながらもすべてを受け止めて、自分なりに答えを出した。それが強く表れている部分がいくつかある。その1つが、松永死刑囚と3回目の面会を果たしたときのことだ。


松永は彼に「何か差し入れをくれ」と頼んだ。殺したいほど憎い感情とこれが最後になるかもしれないという葛藤に苦しみながら、気がつけば差し入れをしていた。その後、松永から届いた手紙には「ありがとう」が書かれていたという。それは松永から一度も聞いたことのない言葉だった。素直に受け取るべき感謝に抵抗を感じつつ、これでよかったと思う自分もいる。このときのことを彼はこのように述べている。

 

何をしてもきっと、人間って後悔すると思うんですよ。ああしたらよかった、こうしていればよかったって。(中略)何をしても後悔するんやったら、後悔しても満足の行く後悔の仕方っていうのをするようにしようと思ってるんです。
ひょっとしたら親父が死んだ三年後くらいに俺はそれを後悔するかもしれない。(中略)でも、差し入れしていなかったら、していなかったで、たぶん後悔すると思うんですよね。だから、どう後悔することになったとしても、自分で納得のいく選択をした結果としてそうなったんやって自分自身に言い聞かせている。そんな感じですね。


こんな25歳、世間にいない。この本には、親を選べなかった子どもが経験した人生と、そこから導き出した1つの生き方が描かれている。その姿を、ぜひ読んでほしい。死刑囚と無期懲役囚の息子という大きすぎるハンデに負けずに生きる、彼の強さを感じてほしい。

文=いのうえゆきひろ

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