神の御業か、悪魔の所業か?──お金持ちのためのクローンビジネス

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韓国に10万ドル(約1100万円)でクローン誕生を請け負う研究施設がある。そこには、愛犬の生まれ変わりに巡り逢おうと、セレブや富裕層からの依頼が相次いでいるという。韓国発のセレブ向け新業態のおはなし。

 

世界最小のチワワ犬としてギネス認定された「ミラクル・ミリー」のクローン49頭を黄たちはつくり、2度目のギネス記録に認定された。そのうち11頭の写真。


■彼はクローンの魔術師なのか?

 

手術着に身を包んだ外科医は、マジシャンさながらの注目を浴びていた。口元を覆うマスクにクリップ留めした小型マイクに語りかけ、手ぶりをまじえて、これから行う帝王切開の説明をする。アクリルガラス張りの手術室の外には学生数名が立ち並び、心酔したような眼差しを彼に注いでいる。全身麻酔を受けた母親に外科医と助手たちは歩み寄り、手際よく腹部を切開して元気な男の子を取り上げた。

 

外科医がクリップを外してマイクを近づけると、ミー、ミー、ミーというような新生児の産声が手術室の外に届き、小さな歓声が学生たちからあがる。

 

この子の名前、いや番号は、1108番。

 

どういうことかって? 答えは彼がクローンだから。しかも人間ではなく犬の赤子だ。ラブラドールほどの体格をした雑種犬の代理母から生まれたその子は、セントラル・アジア・シェパード・ドッグの子犬で、その誕生は、中東のとある王家からの依頼により、外科医たちが技術とノウハウを注ぎ込んだ成果だった。

 

ここは韓国。ソウル市内にあるスアム生命工学研究所。2006年の設立以来、これまでに1000頭以上のクローン犬を生み出してきた。費用の目安は1頭10万ドル(約1100万円)が上限で、ペットが亡くなってから通常5日以内にDNAを提供してもらえれば、5カ月以内に生まれ変わりを用意できると研究所は請け合う。

 

1996年に世界初のクローン羊「ドリー」が生まれてから20年余り。哺乳類クローンの技術は大きく進み、クローン犬の作成が富裕層向けビジネスとして広まりつつある。

 

世界各国で複数の機関がサービスを提供しており、今年3月には歌手で女優のバーブラ・ストライサンドが、愛犬サマンサのクローン2頭を飼っているとインタビューで明かしたことが大きな反響を呼んだ。彼女はテキサス州のVisGen Pets社に5万ドル(約550万円)の費用を支払い、愛犬の亡骸の口と胃から採取された細胞を元にクローンをつくってもらったのだという。

 

 

スアム生命工学研究所の代表は冒頭の外科医で、いま65歳の黄禹錫(ファン・ウソク)。クローン技術の権威にして腕も確かだが、彼には拭い去れない過去がある。

 

ソウル大学教授だった黄は2004年と05年に、ヒトクローン胚から胚性幹(ES)細胞をつくることに成功したという論文を米『サイエンス』誌に発表し、その快挙で世界中を沸かせた。ところが後に、論文の捏造が発覚し、研究費の横領までが露呈したことで、名声がたちまち地に墜ち、すべての公職を解かれたばかりか、執行猶予つきの有罪判決までが下された。

 

だがその一方で、黄は2005年に世界初のクローン犬「スナッピー」を誕生させていた。ヒトの卵細胞や幹細胞の研究をすることを韓国政府から禁じられ、もはや表街道への復帰は望めない彼はこの道に活路を見出し、06年にスアム生命工学研究所を設立した。そして07年、ジョン・スパーリングというアメリカの億万長者から、ガールフレンドの愛犬ミッシーのクローンをつくってほしいという打診を受けたことが転機となる。数年前に死んでいたミッシーの生まれ変わりをつくることに黄たちは成功し、それをきっかけに、クローン犬の作成をビジネスとして展開するようになる。

 

 

 

しかしそうしたクローン犬は、はたしてどこまで愛犬の生まれ変わりと呼べるのだろうか? ソウルの研究所を訪ねた私からの質問に、黄は率直に答えてくれた。それは言うなれば、「異なる時間軸を生きる一卵性双生児」のようなものなのだという。愛犬の記憶をクローン犬はもたないし、たとえ見た目は瓜二つでも、個性や癖には育つ環境が影響する部分も大きいからだ。

 

それでも高いお金を支払ってクローン犬の作成を依頼する人が多いのは、それもペットとの別れのひとつのあり方と考えてのことかもしれない。愛犬の亡骸を剥製にすることで生前の面影を手元にとどめようとする人たちがいるように、違いはあっても生きて動くその姿が慰みになるのではというのだ。

 

しかし、バーブラ・ストライサンドの行為には「人に可愛がってもらえない無数の捨て犬のことを彼女たち富裕層は忘れているのでは」という批判が寄せられた。愛犬を亡くしたなら代わりに身寄りのない犬を引き取ってはどうかと動物愛護団体は提言している。ペットの命は平等なのに、クローン犬ばかりに大金が投じられるいびつさを彼らは憂えているのだ。

 

 

愛犬のクローンの作成費用 約1,100万円

 

黄禹錫は、ヒトクローンES細胞論文の捏造でごうごうたる非難を浴びたが、その後クローン犬の作成に専念し、そこに使命と生きがいを見出した。

 

 

■1頭のために支払われる多くの犠牲

 

1頭のクローン犬を生み出すことに多くの犠牲がともなうことを問題視する声も根強い。代理母に移植されるクローン胚すべてが妊娠につながるわけではなく、妊娠中の流産などもあるため、無事に生まれてくる1頭のために複数の卵子提供犬と代理母犬が肉体的負担を強いられるからだ。

 

2005年のスナッピーは、黄が123頭の代理母犬に合計1000以上ものクローン胚を移植してようやく誕生させた1頭だった。現在では技術が格段に進歩したため、スアム研究所では3頭の代理母犬と数十のクローン胚があれば1頭を生み出せるとしているが、それへの疑問の声もある。

 

本当に代理母犬が3頭だけで足りるのかと訝る学者もいるし、クローン胚を着床させやすくするために代理母犬に行われるホルモン注射を問題視する声もある。イリノイ大学のチェミョン・ジェイ・コー教授は「人間の体外受精の場合と同じホルモンが使われるのです。それを注射されることは犬の体によくありませんし、何度もくり返し注射されるとなればなおさらです」と述べた。

 

世界初の”試験管ベビー”が1978年に生まれたとき、多くの宗教指導者が体外受精を非難したし、DNAの二重らせん構造を共同発見したジェームズ・ワトソンでさえも、それが政治と社会倫理にもたらしかねない影響を懸念した。それが今や、世界で700万人以上が体外受精などの手段で生まれるまでになっている。

 

そして今年、中国科学院はクローン猿2匹を誕生させ、霊長類では初の成功例となった。遺伝子配列が人間に非常に近い猿で成功したからには、いよいよ人間のクローンも視野に入ってくる。

 

1頭のサルーキ犬からつくられた3頭の子犬が、スアム生命工学研究所の床でまどろんでいる。

 

しかし黄禹錫には人間のクローン研究はもうできないし、それに挑むつもりも毛頭ない。「動物のクローンと人間とでは、倫理面で問われるものに大きな違いがあります」と彼は言う。中国のクローン猿の事例では、2匹の元気な赤子をつくるために63匹の代理母猿が使われた。同じことを人間でやるとなれば、Huluでオリジナルドラマ化もされたディストピアSF小説『侍女の物語』─女たちが子孫を残すための道具として扱われる─さながらの事態にもなり、そんなことが倫理的に許されるわけがないのだ。

 

だから黄たちは動物のクローンに専念している。犬だけでなく、マンモスをDNAからつくり出すという『ジュラシック・パーク』のような計画を進めてもいる。幹細胞や胚の発達について多くが解明されることで、アルツハイマー病や糖尿病といった人間の病の治療につながるという期待もある。

 

取材の最後に「あなたの奥さまかガールフレンドに」と黄が私に差し出したギフト袋には化粧品が詰まっていた。スアム研究所は幹細胞や酵素を利用して各種クリームやクレンジングオイルをつくってもいるのだ。

 

最愛のわが子と死別した親が、85%の再現度で構わないからとすがりついて懇願する日もいつかは来るだろうし、功名心に駆られた生物学者がヒトクローンのタブーを踏みこえることもあるかもしれない。けれども、黄がその学者になることはきっともうないはずだ。

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