2時間「重ステ」と格闘の末、優勝! “奇跡の42歳”佐藤琢磨の底なしのポテンシャル

車・交通

 

北米インディカー・シリーズに参戦中の佐藤琢磨は、4月7日に決勝レースが行われた第3戦アラバマで今季初優勝を果たした。2010年から参戦する同シリーズでは通算4勝目である。前日の予選では、自身8度目のポールポジションを獲得。先頭からスタートしてレースを制する「ポール・トゥ・ウィン」を達成したのは初めてだ。


琢磨はレース後のインタビューで「(ポール・トゥ・ウィンは)F3で走っていた頃以来じゃないか」とコメントしたが、そのとおりで、イギリスF3に参戦していた2001年以来、実に18年ぶりである。1977年1月28日生まれの佐藤琢磨は現在42歳。衰えるどころかますます勢いに磨きが掛かっている。第3戦での優勝でシリーズポイントラインキングは3位に浮上。気の早い話だが、年間チャンピオン(全17戦)が狙える位置にいる。


実現すればもちろん、自身にとっても、日本人ドライバーに範囲を広げても初の快挙だ。琢磨は2017年に、世界三大レースのひとつに数えられるインディ500を日本人ドライバーとして初めて制したが(当時40歳)、そこが、レーシングドライバーとしてのキャリアのピークではなかったということだ。空恐ろしいポテンシャルの持ち主である。

 

 

駅の階段を上るだけでもやっとのオジサンからすると、約2時間のレースを走り切るだけでも驚嘆に値する。その感覚を知っている人もだいぶ少なくなっているかもしれないが、インディカーにはパワーステアリングが付いていない。いわゆる「重ステ」である。腕や胸の筋肉を鍛えるウエイトトレーニングを2時間ぶっ通しで続けているようなものだ。


もちろん、筋力や体力を維持しているから速いなどと言うつもりはない。才能のなせるワザである。琢磨は「速いマシンを用意してくれたチームのおかげ」と、チームの貢献を讃えたが、マシンの持つ能力を最大限引き出すのは、ドライバーの役割だ。


レースでは、時々刻々と変化するコンディションに合わせて、最適な運転をしなければならない。給油した直後とピットイン直前では車重が異なるし、新品時と交換直前ではタイヤのコンディションも違う。時間の経過とともに気温や路面温度は下がっていくのが一般的で、温度の変化によって変わるタイヤの振る舞いに合わせ、長持ちするよういたわりつつも、性能を最大限引き出すような運転をしなければならない。

 

 

2時間重ステと格闘しながら、速く走り続けるための繊細なマネジメントが求められるのだ。一発勝負の予選では、12歳年下のチームメイト(グレアム・レイホール)を0.1秒差で退けてのポールポジション獲得だった。


琢磨がF1に乗っていたのは2008年までで、当時31歳だった。2016年にメルセデスAMGでチャンピオンになったニコ・ロズベルグは、チャンピオン獲得を決めるとあっさり引退を宣言。その唐突にして早すぎる引退が話題になった。ロズベルグは当時、31歳だった。琢磨が新天地を求めてアメリカに渡り、インディカー・シリーズへの参戦を始めたのは2010年のことで、当時33歳である。頂点を目指して再スタートを切るには遅すぎると考えるのが普通だが、前述したように、40歳でインディ500を制してしまうのだから、琢磨に常識は通用しない。

 

 

■57歳で優勝したドライバーも

 

ちなみに、現役F1最年長のドライバーは、フェラーリからアルファロメオに移籍したキミ・ライコネンで、現在39歳(1979年10月17日生まれ)。中位チームに在籍しながら、開幕戦8位、第2戦7位と奮闘している。14歳年下のチームメイト(アントニオ・ジョビナッツィ)は、2戦連続ノーポイントだ。F1でも、オジサンは若者に負けていない!


1996年には、ウイリアムズ・ルノーに乗るデイモン・ヒルがチャンピオンになった。当時はずいぶんオジサンに見えたが、当時36歳である。観る方が若かったので、オジサンに見えたのだろう。1993年、アラン・プロストが4度目のチャンピオンになったときが38歳。「無冠の帝王」と言われたナイジェル・マンセルがウイリアムズ・ルノーでチャンピオンになったのは1992年で、当時39歳だった。マンセルは翌年アメリカに渡り、CART参戦1年目でチャンピオンになる。この年40歳。思えば、マンセルはドライビングスタイルも含めて、元気なオジサンだった。ネルソン・ピケは39歳の年(1991年)までF1に乗った。


大昔すぎて参考になりそうもないが、F1最年長優勝はアルファロメオに所属していたイタリア人ドライバー、ルイジ・ファジオーリの53歳22日で、1951年の出来事である。インディ500に限って言うと、最年長優勝ドライバーはアル・アンサーの47歳360日(1987年)。最年長出走は歴代最多タイ(4回)の優勝記録を持つA・J・フォイトの57歳(1992年)だ。ん、琢磨選手、まだまだイケルぞ。

 

 

「日本一速い男」の異名で知られた星野一義は50歳になった1997年にトップフォーミュラからの引退を発表。その後も全日本GT選手権(JGTC)に出場し、日産スカイラインGT-Rをドライブしたが、55歳(2002年)でステアリングを置き、レーシングドライバー人生に終止符を打った。星野の教え子のひとりである本山哲は2月9日、スーパーGTの上位クラスに位置する「GT500(日産GT-R)にはもう乗らない」と事実上の引退を宣言。その翌月に48歳の誕生日を迎えた。


やっぱり琢磨、まだまだイケルぞ。というか、洋の東西を問わず、諸先輩方の頑張りがすごい。
 

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モータリングライター&エディター

世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『トヨタ ル・マン...

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