話をしていてつまらない人

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citrus 中川寛子

話をしていてつまらない人

話をしていてつまらないと思う人がいる。冗談が言えないとか、言ってもオヤジギャグばかりとか、そういう話ではない。一方的に自慢話、懐古談をする人がつまらないのはもちろんだが、それは私だけでなく、世の多くの人がそう感じているだろう。なので、とりあえず、今、書きたいのはそういう人ではない。

 

会話というのは同じテーマをそれぞれが違う立ち位置やバックボーン、異なる量の知識などで自分なりに解釈、それをやりとりするから、そこに発見があって面白いのだと思うのだが、同じテーマでやりとりすることに興味のない人は論外として、非常に興味、関心を持っていることは分かるものの、教えてもらうことにだけ熱心な人たちというのが確実にいて、私が思うつまらない人はそういう人たちだ。

 

相手の知識、意見だけはくれ、くれというが、自分からは他人に何かを与えようとはしない、でも、自分は学んでいると思って満足している、真面目で、善意な人たちだ。

 

私の母もそういう人で、高齢になってからも熱心に大学の社会人講座などに通っていたが、せっかく、源氏物語を読んでいるのなら、ねえ、どう思うよ、源氏のいい加減さ?などという、私の与太話には絶対に乗らず、ただただ、受身で聞いて、メモして、それで満足。講座でも自ら発言することはなく、聞く一方。

 

いろいろな知識を知ってはいるのだけれど、ブラックホールのようにただただ吸い込むだけ。アウトプットすることはない。

 

ちなみに、ここで言うアウトプットは知識を知識で返すという話ではない。そんなことだったら、知識レベルの違う人の間では会話が成り立たないことになってしまう。

 

そうではなく、たとえば大人と子どもが話をしていても、子どもの素朴な疑問に違う視点を与えられるような、自分の言葉で考えを言うやりとりというような意。会話の本旨を考えれば、そんなに難しいことではないと思う。

 

 

そもそも、人間関係は会話のごとく、やりとりをするものだと思う。与えるから、返ってくるものだろうと思う。

 

もちろん、返ってくることを常に前提にしているわけではないものの、それが絶対に返ってこないことが分かっていて、話し続けるのは虚しい。ブラックホールに向かって延々しゃべるようなもので、いくら「そうなんですね、勉強になりました」と言われても、それのどこが勉強やねんと毒づきたくなる。そんなことを言うなら、どこがどのように勉強になったか、不足はどこか、そこまで言ってこそのやりとりである。

 

勉強は、学びはメモを取ることではなく、もっと積極的なものだと思うが、そう思っている人も少なくないように思う。学校教育のせいか、奥ゆかしいお国柄のせいか、そのあたりはよく分からないけれど、学びは消費するもんじゃないよと思う。

 

まあ、私がそう思っていると言ったところで、消費している人たちが気づくわけはなく、そもそも、それが悪いということでもない。世の中には知識くれくれ層にフォアグラの育成よろしく知識を流し込む産業もあり、そうしたお金は私なんぞよりはるかに日本経済に貢献しているはず。

 

文句を言う筋合いはないが、そういう人との会話がつまらないのは確か。できることであれば、なるだけお付き合いしないようにしたいところである。

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中川寛子

住まいと街の解説者。東京生まれの東京育ち。中高の頃は自転車で、現在は徒歩で首都圏を隈なく歩き回る不動産オタク。子どもの頃から歯を磨くより作文を書く方が楽と言い切り、現在もヒマがあると何か書いているか、読んでいる。おかげさまで原稿書きで細々と生計を立てている。所属学会/日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会

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