「氷水かぶり」の“あり・なし”を問題視するのは、自主判断できない日本だけなのか?

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citrus 松田扶美

「氷水かぶり」の“あり・なし”を問題視するのは、自主判断できない日本だけなのか?

赤木智弘氏の記事を読んで、やっぱり日本は「保守的・諦め念・懐疑的」だなと思ってしまった。

 

誰かが1回、氷水を被るだけでは、誰も命も救われない(赤木智弘氏の記事・BLOGOS)

 

それなら世界に「一人が水をかぶっただけでは何も変わらないからやめたほうがいいですよ。日本では、義理人情とかがあって難しいのです! 日本人を指名しないでください!」と呼びかければ良いだけの話。

 

「氷水かぶり」は今、発祥地のアメリカ大陸だけでなく、欧州、アジア、南米世界中に広がっている。

 

スイスの無料新聞で世界中の有名人や非有名人がいろいろな方法でこのアクションに参加したり、拒否したりしているのが面白く報道されている。大多数の人は楽しみ、氷水をかぶり、ALS研究の寄付をしたようだ。

 

しかし、有名人のなかには、

 

「冷たいのはまったくダメ。その代わり寄付金は2倍に」
「氷水かぶりはナンセンスだ。僕は寄付はしたが、誰にも次の指名はしない」
「僕の代わりに水をかぶってくれた友達紹介。お金は僕が出した」
「プールで社員皆が足を浸した。100円ずつ集めた」
「指名は嬉しいが、心臓に悪いから、丁寧に拒否した」
「私は他の難病研究にずっと寄付してるから今回はスルーする」

 

このように、指名された人のなかには、義務として受け止めず、はっきり拒否もするし、まったくそれぞれだ。拒否してもだれも非難などしない。

 

 

皆、成人だから自分で考える。たとえ上司から名指しされても拒否も出来るし、そんなに気が進まなくても大して苦痛は無いから一緒にやってやろうということにもなる。「名を連ねる良いチャンス」だっていいではないかと考える。

 

このアクションは、単なる「良い好意と行為」と考え、「楽しみが分かる人」だけがすればいいのだ。

 

ところが、社会に問い、「氷水かぶり、問題あり・問題なし」と懐疑的な意見を述べる者がでてくるのは、やっぱり日本しかない。

 

いい大人が、「断れない」「余計な義務感を与える」「強制性を感じる」「名を売る事は悪」と思い込むのは日本社会の独特なところ。

 

何でも、他人の創造した物、誰かが発想した事に対して、「あり」とか「なし」とかばかり問題にして、個人の自由な判断が出来ず、皆が揃わなければ「線を越える」事ができないし、島国根性がやっぱりこんな機会にも現れる。

 

「水をかぶっても何もなりませんよ!」は日本的発想で諦め感があり、発想者を一応けなしてみる。いつもそうだ。

 

 

今回の「氷水かぶり」は、単純でしかも面白い発想だ。

 

その証拠に世界中わずか一月もしないうちにこの病気を世界中に伝えたのだし、寄付金が集まったのだ。今まで誰がこんなに効果的に「難病の状況」を世界に広報してくれたのか。ドイツやスイスではもう早くもその寄付金で具体的なサポートや研究が話題になっている。

 

日本でこのようなことが「問題あり」という人は自分が問題にしてるだけではないか。しかも「一人が水をかぶっただけでは何も変わらない」などとわざわざ公表する若い人がいるから、日本は変わらない。どんな一歩も日本では無駄だと言って諦めを誘う。

 

「コロンブスの卵」になれないで、ただ、これは「あり? なし?」と小さなことを問題にするのは、日本だけだ。

 

サッカーのサポーター観客が、応援の励ましの「波のムーブメント」を広げても日本サポートのところで小さくなったり消えてしまったりするという話は聞いている。似たような話だ。

オーサーの個人サイト

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松田扶美

チューリッヒ(ドイツ語圏スイス)在住41年。 現代創作舞踊家。国際振り付けコンクール入賞・チューリッヒダンス文化賞受賞。 2003年、スイス・ダンサー・振り付け賞(スイス現代舞踊協会、プロダンス)生涯賞として受賞。 チューリッヒ芸術大学(ZHdK)演劇学部教授退官。現在年金生活者。 著書に、 『片道だけのパスポート スイスの36年』 (北海道出版企画センター 2009年) があります。

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