一年中食べたい! アノ大物芸能人も参加していた「全日本冷し中華愛好会」。その闘争の日々とは

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後藤拓也

 

■タモリの“生みの親”が会長

 

発祥については諸説あるものの、麺料理を冷たくする習慣は中国にはなく、日本生まれの料理であることは間違いないという冷やし中華。1960年に、だい久製麺が日本で初めて家庭用として売り出した「元祖だい久 冷やし中華」が人気を呼んだことで、夏の麺料理として定着していくことになったそうです。

 

そして、この冷やし中華を愛する人々が集う「全国冷し中華愛好会」(略して「全冷中」)が結成されたのは1975年。タモリが芸能界に入るきっかけを作ったことで知られるジャズピアニスト・山下洋輔が、寒い冬の季節に冷やし中華をなぜか食べたくなってしまい、お店で注文したことが始まりでした……。

 

季節外れだったため、当然のように断られると、思わず「ナゼだ!」と叫んだという山下は、夏以外は冷やし中華が食べられない現状と戦うことを決意。全冷中を作ったのです。

 

 

■一時は会員約1000人の規模に

 

常連だったバーの店の壁に、全冷中結成の声明文を貼り出した山下は、冷やし中華革命を目指して運動を始めます。これに賛同し、会員となったメンバーは非常に豪華で、前述のタモリや、『おそ松くん』『天才バカボン』などで知られる漫画家・赤塚不二夫、『時をかける少女』『七瀬ふたたび』などの著者である作家・筒井康隆も名を連ねていたそうですよ。

 

他にも、当時人気のあった文化人が数多く入会したことや、筒井編集の雑誌『面白半分』で、全冷中の運動が伝えられたこともあり、若者たちの間でどんどんと話題が広まることに。一般人の会員も増え、一時期は約1000人もの大所帯になったのだとか。

 

 

■1979年、全冷中、活動の終焉

 

1977年の4月1日(エイプリルフール)には、有楽町のよみうりホールで「第1回冷し中華祭り」を開催し、2000人近い観客を動員するなど、会の熱気はピークに達します。そこでは、タモリや筒井などによって、冷やし中華をお題としたステージが展開されたとのこと。

 

そんな会の最後には、山下が会長を辞任するというサプライズも。ヒゲタ醤油に務める山下の兄が、会場で冷やし中華のタレを販売していたことから、癒着を疑われないために、筒井にその座を譲り渡したそうです。

 

順調に見えた全冷中ですが、しかし、お祭り騒ぎが長続きすることはなく、1979年に会は解散。革命を目指した運動は、志半ばで幕を下ろすこととなります……というのは、あくまでも半分冗談。全冷中の活動は、いい大人たちが揃いも揃って「本気でふざけている」というようなものだったそうなので、読者のみなさんもそこまで真剣に捉えないでくださいね(笑)。

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後藤拓也

編集プロダクションA4studio(エーヨンスタジオ)所属のライター。1992年、東京都生まれ。生きている時間の大半はラジオを聴いている。将棋の対局を観戦したり、野球やサッカー、プロレスを見たり、人文書を読んだり...

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