「期待はずれだったドラフト1位選手」に学ぶビジネスマンの生き残り術

ビジネス

元永知宏

 

毎年秋にはプロ野球のドラフト会議が開かれ、甲子園や大学、社会人野球で輝かしい成績を残した選手が指名を受けます。いずれも、監督やスカウトなどプロの目利きによって認められた選手ばかり。怪物や天才が集まるプロ野球で、ドラフト1位は特別な存在です。だからこそ、1億円を超える契約金をもらい、メディアでも大きく取り上げられるのです。

 

しかし、プロ野球の高い壁にぶち当たり、監督やコーチとの人間関係に悩み、故障などの予期せぬトラブルに苦しめられ……数年後、ある者は他球団にトレードに出され、ある者は戦力外通告を受けます。期待に応えられずユニフォームを脱いだドラフト1位の言葉には、ビジネスマンが組織で生き残るための教訓がたくさん詰まっています。能力の高い人が集まる職場で働く人、人気部署への異動を希望するビジネスマンには大きなヒントになるはずです。指名された球団ではなく新しい職場で活躍する彼らの言葉をピックアップしました。

 

 

1 「仕事に取り組む姿勢」を見せる

 

周囲の期待が大きければ大きいほど、プレッシャーがかかればかかるほど、誰しもが「結果が欲しい」と思います。だから、チームの和を乱したり、スタンドプレイに走ったりしがちです。しかし、「ひとりの手柄」をまわりの人が喜んでくれるでしょうか。むしろ、仲間との間に溝ができ、敵を作ることになってしまうかもしれません。

 

1999年ドラフト1位で阪神タイガースに入団したものの、わずか6年で引退を余儀なくされた的場寛一さんは、引退後に社会人野球のトヨタ自動車に入ったとき、こう考えたそうです。

 

「まずはどうやって結果を残すか、自分の力をアピールするかを考えました。気をつけたのはいつも謙虚でいること。結果はコントロールできませんが、野球に取り組む姿勢は自分で作ることができます。バッティング練習でもそれ以外の練習でも、ひとつひとつのプレイを全力でやろうと思いました。高校生みたいに泥臭く」

 

的場さんはこの言葉通り、愚直に野球に取り組み、チームを日本一に導き、自身も日本代表に選ばれたのです。

 

 

2 環境を分析することで自分の長所に気づく

 

組織が変わったとき、以前の職場と比べて「おかしいな」と思うことや「こんなはずじゃ……」と考えてしまうことがあります。どんなに素晴らしい会社でも、働く人には不満のひとつやふたつはあるでしょう。そんなとき「前のところのほうがよかったな」と考えてしまっては、活躍は難しくなります。

 

2001年自由獲得枠で北海道日本ハムファイターズに入団した江尻慎太郎さんはトレードで横浜ベイスターズ(現DeNA)に移ってから、自分の変化に気づきました。

 

「前のチームでは、いろいろな人にあれこれアドバイスされ、何がなんだかわからなくなることがありました。新しいチームに入って、つまらないことにこだわりすぎていたことに気づき、自分の好きなようにやろうと考えました。最初にいい結果を残したら、自分のことを尊重してくれて、楽しんで働くことができました。環境が変わればこんなにも人間は変わることができるんだと、自分でも驚きました。新しい環境で見えてくるものがあるのです。欠点だと思っていたことが長所になることも。どんな組織でも、いいところも悪いところもあります。その中で自分をどう生かすかが大事だと横浜で学びました」

 

江尻さんは横浜から福岡ソフトバンクホークスに移っても大事な場面を任されるセットアッパーとして活躍したあと、現在はIT企業(ソフトバンクコマース&サービス)のビジネスマンとして活躍しています。

 

 

3 自分のやり方を押し通す強さを持つ

 

どんなに強い心臓を持っている人でも、新しい環境では少し身構えてしまうもの。慎重になったり、気後れしたりすることがあります。新しい組織のやり方に慣れるまでにはどうしても時間がかかります。大きな組織や、すごい成績をあげる人が集まるところだとなおさらです。1995年ドラフト1位で読売ジャイアンツの入団した河原純一さんはこう言っています。

 

「私はすごく器用だったので、コーチに言われたことはすぐにできました。『やれ』と言われたことをやって……少しずつ何かが崩れていったような気がします。いま振り返ってみれば、大学時代の成績が認められてドラフト1位指名されたのですから、二軍で少しくらい結果が悪かったといってジタバタする必要はありませんでした。自分のやり方を押し通す強さが足りなかったのかもしれません」

 

そう気づいた河原さんがその後、巨人や西武ライオンズ、中日ドラゴンズで活躍できたのは、自分のやり方を貫いたからでした。

 

 

4 「できるかどうか」よりも「何を学ぶか」にフォーカスする

 

1990年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)に入団した水尾嘉孝さんはオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)や西武、アメリカのマイナーリーグでプレイしたあと、38歳でユニフォームを脱ぎました。そのときに選んだのは料理人の道。皿洗いからのスタートでした。

 

「18歳、19歳の人なら、『この道でいのか』という迷いもあるでしょうが、私には選択肢がありませんでした。言われたことは全部『はい』と聞きました」

 

それから10年後、水尾嘉孝さんは現在、東京・自由が丘で「トラットリア ジョカトーレ」のオーナーシェフをつとめています。

 

「プロ野球選手のころは『このバッターを抑えられるかどうか』『自分の力でできるかどうか』ばかり考えていましたが、いまは一生懸命に学ぶことしか考えていません」

 

 

5 変わった環境に適応し、そこで通用する方法を考える

 

1993年ドラフト1位で阪神タイガースに入団した藪恵壹さんは、長く優勝から遠ざかっていた名門を支えたエース。2003年に18年ぶりのリーグ優勝を果たしたあと、メジャーリーグを目指しました。日本とは異なるボール、マウンド、ほとんど経験のないセットアッパーとしての登板など戸惑うことばかり。マイナーリーグでプレイしたことも、所属チームが決まらず、ネットに向かってひとりでピッチング練習をしたこともありました。しかし、そこで勝ち星以上に大切なものを数多く手にしました。

 

「環境が変わればそこに適応する。そこで通用する方法を考える。私はそうやってプレイしてきました。いつも最短距離で答えが見つかるわけではありませんが、回り道も経験だと考えてきました」

 

どんなに能力がある人でも、環境が変わったり、より競争の激しい組織の一員になれば、不安になります。ときには、自信を失うこともあるでしょう。いい成績を残せず、目の前の結果ばかりが気になったときには、この5つのポイントを思い出してください。

 

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元永知宏

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ...

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