「焼き鳥を串から外さないで」問題。この“不寛容社会”で食事を楽しむにはどうすればよいのか?

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少し前に都内の焼き鳥店が「だれか!! ツイートして下さい!!」から始まる「焼鳥屋からの切なるお願い」という看板で「焼き鳥は串から外さず、ガブりついて食べて下さい!!(泣)」と訴えかけた(その看板を撮影したツイートは2万以上リツイートされた)。串から外すと「絶対に美味しくないし!!」とも断言している。

 

citrus編集部から「この件について書いてください」と依頼されて、ひとしきり悩んでしまった。というのも、このようなケースは店、客それぞれの立場と事情がある。ネット上の反応を見ると、見事に賛否が半々といったところだ。

 

反対派の代表的な意見は「店の都合や理屈を押しつけるな。好きに食べさせろ」だし、賛成派は「そんな無粋なことを言うヤツは焼き鳥屋にくんな」と言う。正直、どちらの言い分もわかる。僕自身もできる限り串から外さず食べるようにしているが、店やメンバーによっては串から外して食べるケースもゼロではない。

 

 

■焼き鳥は串から食べたほうが美味しく感じられる?

 

さて、串に刺さった焼き鳥と、バラした焼き鳥では何が違うのか。最大の違いは温度変化だ。串打ちされた鶏肉は隣の肉の熱に支えられて、温度が一気には下がりにくい。一方、串から外した鶏肉は空気に触れる表面積が増える。つまり肉の温度が急激に低下しやすくなる。

 

この件については、雑誌『dancyu』2015年7月号「焼鳥ラプソディ」特集内「串から外しちゃダメですか?」企画でも触れられている。串に刺したままの焼き鳥と串から外した肉の表面温度を測ったところ「外した瞬間にガクッと(肉の)温度が落ち、そのまま低温真っ逆さま。一方串のままだと、温度はゆるゆる~と落ちていく」という。確かに適温で提供された焼き鳥は、串から外さないほうが長く温かさを楽しめる。なかには客が食べ進む時間を計算に入れて、先端から根本までの肉の大きさや塩の打ち方を変える店まである。

 

そもそも、串焼きならではの「味」を構成する要素は温度以外にもある。例えば串から直接食べると「一口の量」が変わる。さらにその食べ方で「味わいの曲線」が変わる。

 

まずは量だ。焼き鳥を串から外すと肉はひとつずつバラバラになる。だが串に刺されたままの焼き鳥は、ひとかたまり状になっている。噛みちぎるように食べることで、好みの量を引き抜き、「ほおばる」ことができる。人間の口内は敏感な感覚器であり、口内の上顎――「口蓋」を刺激すると「快」を感じるという。麺類の喉ごしの気持ちよさも上顎の奥のほうの「軟口蓋」を刺激する快感だと言われる。確かに食べ方にも味わいは左右される。頬張ったり、勢い良くすすったり、多少行儀悪いくらいのほうがおいしく感じられる場面もある。

 

そして串から食べることで「味わいの曲線」も変わる。バラした焼き鳥は箸でつまんで、そのまま口内に放り込む。一瞬、舌の上を通過するものの、たいていはそのまま咀しゃくに入るだろう。一方、串から直接食べる場合はどうか。一口目は歯で固定して引き抜く動作になる。本格的に噛むのは引き抜いた後だ。つまり一口目は焼き鳥を甘噛みしつつ、来るべき味への予感をつのらせながら、受け入れ準備をすることになる。さらに一口目の肉は、唇にも当たる。皮膚のなかでも薄い口唇部でしか得られない感触もあるだろうし、歯ではさんで肉をぎしりと引き抜く楽しさもある。そうして肉を引き抜き、二口目から本格的に噛み締め、肉の繊維の間からあふれる肉汁を口内にあふれさせる。ゆっくりスタートして一気にギアを上げる。味わいの曲線をデザインし、1本の焼き鳥にドラマを作る。

 

 

■食事におけるリスクは誰しも無縁ではない

 

「うまい」「まずい」だけで言えば、まず間違いなく焼き鳥は串から食べたほうが美味しく感じられるはずだ。だが、同席者との関係性や人数など、串から外したほうがスムーズな宴席になることもある。店や客、それぞれに事情や思惑はもちろんあるだろう。「串から外さず食べて下さい」という店主は「少しでもおいしく召し上がって頂きたい」という気持ちなのだろう。ただし、実はこの話は、「味」や「作法」の話ではないように思う。

 

店と客の間で共有すべき"お約束"は、少なくとも店の数くらいはあるし、本来は店×客の組み合わせの数だけある。にも関わらず、この件ではその個人的な約束事を「だれか!! ツイートして下さい!!」と世界に向けて発信するよう、看板の前を通りがかる第三者に預けてしまった。その意図はどうあれ、冒頭の一文のスタンスはどうしても文章全体のトーンを決めてしまう。

 

つまるところ、食事とは店と客、もしくは客同士がコミュニケーションをするための舞台である。そして雄弁、無言にかかわらず、行き違いのリスクは常につきまとう。鳥のから揚げにレモンを絞る人も、音を立てて麺をすする人も、アジフライにソース(もしくは醤油)をかける人も、誰もがリスクとは無縁ではない。ならばリスクを最小限にすべく、態度と言葉を尽くし、その上でリスクを引き受ける。この不寛容社会を生きるとはそういうことなのだ。

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フードアクティビスト

松浦達也

フードアクティビスト/編集者&ライター 『dancyu』などの食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで、「調理の仕組みと科学」「食文化」「食から見た地方論」など幅広く執筆、編集を行う。テレビ、ラジオでの食トレンド...

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